12月14日 山田支隊 非戦闘員を解放
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2011/09/15 18:31 投稿番号: [972 / 2250]
東中野修道著
『南京大虐殺の徹底検証』
129p
《 そこで、戦闘員と非戦闘員とが選り分けられた。
そして、非戦闘員は解放された。
残る八千人ほどが幕府山南麓のバラックに収容された。》
両角業作
手記
《 幕府山東側地区、及び幕府山付近に於いて得た捕虜の数は莫大なものであった。
新聞は二万とか書いたが、実際は一万五千三百余であった。
しかし、この中には婦女子あり、老人あり、全くの非戦闘員
(南京より落ちのびたる市民多数)
がいたので、これをより分けて解放した。
残りは八千人程度であった。これを運よく幕府山南側にあった厩舎か鶏舎か、
細長い野営場のバラック
(思うに幕府山要塞の使用建物で、十数棟併列し、
周囲に不完全ながら鉄線が二、三本張りめぐらされている)
とりあえず、
この建物に収容し、食糧は要塞地下倉庫に格納してあったものを運こび、
彼ら自身の手で給養するよう指導した。
当時、我が聯隊将兵は進撃に次ぐ進撃で消耗も甚だしく、恐らく千数十人であったと思う。
この兵力で、この多数の捕虜の処置をするのだから、
とても行き届いた取扱いなどできたものではない。
四周の隅に警戒として五、六人の兵を配置し、彼らを監視させた。》
児島襄著
『日中戦争4』
229〜230p
《 十二月十四日朝
−
その南京北部の要地・幕府山も、あっけなく陥落した。
第十三師団第百三旅団第六十五連隊第五中隊百二十人が、
決死の攻撃をこころみたのだが、中国軍第二軍団、教導総隊の残兵は、
自発的に続々と投降したからである。
捕虜総数は、なんと 「一万四千七百七十七人」 ……。
もっとも、投降者の中には、中国側の焦土戦術によって家を焼かれ、
行き場も逃げ場もうしなった住民多数がふくまれている。
第百三旅団長山田栴二少将は、第六十五連隊長両角業作大佐に命令して、
一見して難民とわかる者は釈放させ、
中国軍兵士だけ約八千人を幕府山付近の中国軍兵舎に収容させた。
それでも約八千人の多数である。二十二棟の兵舎にすしづめになった。
「皇軍はお前たちを殺さぬ」
連隊長両角大佐が告げると、通訳された中国軍兵士たちは、いっせいに合掌し、
次いで歓声をあげた。》
これは メッセージ 971 (kireigotowadame さん)への返信です.
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