入って中国人に南京事件真相議論しましょう

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体験談2 唐子浜で捕らえた姑娘

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2009/07/01 18:55 投稿番号: [97 / 2250]
190~192p
唐子浜で捕らえた姑娘 (クーニャン)−   歩兵第十三連隊(熊本)   第十一中隊   歩兵曹長   K・S


日軍百万上陸のアドバルンが、内地のような感じのする空に揚げられて、
まず敵胆を寒からしめて二日目、雨にたたかれ、ぐいぐいと肩に食いこむ装具に喘 (あえ) ぎ、

泥濘 (でいねい) に膝 (ひざ) を没し、倒れたりして、泥人形よろしく金山衛を通り、
唐子浜で露営することになりました。

  私は半張りの破れかかった軍靴をどたばた言わせつつ、道路の警戒を命ぜられ、
部落の端に行き、何か言いたそうな兵隊の顔を無視して、わざと命令的に警戒区署を定めていた。


実は私も泣きたいくらいでした。そのときのことです。
特に監視すべき方向はこの方向と道路上を指すと、指したところに忽然 (こつぜん) と姑娘が現れて、

窈窕 (ようちょう) たる姿態が楚々として、この方にくるじゃありませんか。誰だって面喰います。

付近は敗残兵も正規軍も、うようよしている。そこを敵の方からくるんです。
〝こやつ、てっきり〇〇〇だ〟

素早く区署を済まし、泥人形は遮蔽 (しゃへい) には持ってこいと伏せておりました。
身近にきて、兼ねて手筈の通り、私が一人立ち上がって、通せんぼをして誰何 (すいか) しますと、


一寸たじろいだ風でしたが、

  「日本の兵隊さんね」、流暢な日本語なんです。

また面喰った。 兵隊もぞろぞろ集まってくる。

改めて面 (おもて) を見ると、歳の頃二十七、八、戦禍に災いされたのか、
心持ち擦 (す) れてはいるが、明眸皓歯 (めいぼうこうし) の部類に編入される代物なのです。


聞いて見ると、上海から逃げてきたけれど、皆殺されたり、はぐれたりして、
これは支那軍の方にいると危ないと思い、やってきたという。

「日本語はどこで覚えた」 と聞くと、

「長崎に四年、活水女学校を卒業して、上海の日本人書店に雇われていた」 と言います。

何はともあれ、まずこれへと、久し振りに柔らかい日本語を聞いた感傷も手伝って、
中隊長殿のところに連れて行きました。

  いろいろ調べられるけれども臭いところは無いらしい。


ちょうど中隊に通訳がいなくて、何かと不自由していたこととて、
通訳代わりに使うことにしましたが、炊事をさせると日本人の味の好みを心得て、

乙なところを見せる。所帯馴れしているから、兵隊にほどよく愛矯をふりまく。
姉さん、おっかさん、婆さん、好みの愛称をつけて、皆で大切にしたものです。

ときには宵待草や荒城の月を聞かせてくれました。毎日の行軍も宿営も楽しみでした。
和気藹々 (わきあいあい) として夕方の団欒 (だんらん) の紅一点、和やかなものです。


しかし相手は柳腰 (りゅうよう) の支那女性、南京へ南京への猛迫撃に、我々に伍 (ご) して行ける筈がない。

中隊長殿が見かねて上海の方へ帰されたが、その日の行軍のけだるいこと、
道の遠いこと、足の重いこと、皆、考えこんでしまっていました。


昨日までは中隊の先頭に婀娜 (なまめかしい) しい奴が、颯爽 (さっそう) と秋風に吹かれながら、中支の荒野を馳けっていた。

「おいきついなあ」「うん」 返事も上っすべり。誰かが思い出し風に、

「変なこと言いっこなしよ、皆兄弟じゃないか」

と彼女の口真似をすれば、とたんに爆笑が湧くが、またもとのむっちりした重苦しい空気に帰る。
それに耐えかねた兵が 「宵待草のやるせなさ」、彼女の得意な歌だ。


  翌日からはまたもとの何もなかったようになって、一路南京へと、ほとんど小走りで行きました。
陣中の紅一点、あの日のあのときのことどもが未だに思い出に残っています。
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