体験談3 七百名の敵を捕らえる
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2009/07/02 18:54 投稿番号: [98 / 2250]
162〜164p
七百名の敵を捕らえる − 歩兵第四十七連隊(大分) 七本部 H軍曹
杭州湾に上陸して連隊本部付きで、一線中隊は各二百発ずつ弾薬を携行し、自分は後の
弾薬を海月庵に集め、大隊小行李 (しょうこうり) を纏 (まと) めて一線へと十日出発しました。
十三日に松江 (しょうこう) に到着して、それから二里半ばかりのところで一本道路でしたが、
前方に支那人が沢山いました。
このとき自分たちの兵力は、十二中隊が分散兵を集合せしめて約一ケ小隊、
小銃が四十挺ぐらいでしたが、クリークの岸に戦闘準備をしました。
すると、敵の将校らしいのが、前方二町ぐらいの所で止まりました。
それでこちらも前進しましたが、敵には全然戦闘意志はなく、チエッコ九、小銃百三十、
モーゼル三を持った敵が、道路の両側にズラリと集まりました。
七百名ぐらいおりましたが、早速まず武装解除をさせました。
小銃には全部装填(そうてん) してありました。
〝これだけの人員が、それに比較して殆ど戦闘力のない我々に向かってくれば、
ひとたまりもなかったのに〟 と後でホーッとしたことでありました。
これらの兵器は輜重(しちょう) 兵に持たせました。
黄浦江付近まで−歩兵第四十七連隊(大分) 第三大隊第十二中隊座談会より
A軍曹
松江を朝の七時頃出発しました。
横光分隊が路上斥候となり、部隊の一五〇メートル前方を前進、その後に車両部隊が続行、
その車両の間に二個分隊を適当の間隔に配置して、一個分隊が後方警戒に当たりました。
道の曲がり角のところで、向こうから十名ばかり白旗をかかげてくるのに出逢いました。
斥候よりの報告がないので、小隊長殿が駆けつけて見られますと、どうやら降伏してきたらしいのです。
都合のいいことには小隊の坂部上等兵が少し支那語が話せるので、訊ねさせてみますと、
向こうの部落に同僚が七百名ばかりいて、みんな降伏したいと言っているとのことです。
七百名 − 一寸(ちょっと) 想像のつかない話です。それに自分達は一個小隊(約七十名)、
車両部隊なんて戦闘力は無いも同じです。敵に抗戦の意志があるとすれば、これは大変なことです。
それでこちらは慎重にかまえ、二個分隊で武装解除に当たり、他は全部戦闘隊形をとらせられました。
二十三連隊の大隊砲も通り合わせましたので、これにも陣地進入をしてもらい、
降伏兵がくるのを待ちました。
そうして待っている間に、崑山から帰りの軍参謀や軍属の方もこられて、やがて、
向こうから長蛇の列をなして、こちらにくる支那軍を迎えました。
皆逞(たくま) しい顔つきをしている、
無表情な彼らの神経に隠されているのが何だろうかと一寸たじろぎもしましたが、
虎穴に入らずんば虎児を得ず、と武装解除をさせ、軍属にたのみ前進しました。
そのときびっくりしたのは彼らの持っていた書類の中に、出征当時の六師団の
中隊長以上の名が全部載っていたことです。
∪曹長
あれは実際特ダネだった。
くるもきたり七百名の降伏兵を見たとき、私はもう、戦争はじき済むと思いました。
奴らも今頃は皇軍の協力者として、新支那へ力強い生命を吹き込んでいることでしょう。
七百名の敵を捕らえる − 歩兵第四十七連隊(大分) 七本部 H軍曹
杭州湾に上陸して連隊本部付きで、一線中隊は各二百発ずつ弾薬を携行し、自分は後の
弾薬を海月庵に集め、大隊小行李 (しょうこうり) を纏 (まと) めて一線へと十日出発しました。
十三日に松江 (しょうこう) に到着して、それから二里半ばかりのところで一本道路でしたが、
前方に支那人が沢山いました。
このとき自分たちの兵力は、十二中隊が分散兵を集合せしめて約一ケ小隊、
小銃が四十挺ぐらいでしたが、クリークの岸に戦闘準備をしました。
すると、敵の将校らしいのが、前方二町ぐらいの所で止まりました。
それでこちらも前進しましたが、敵には全然戦闘意志はなく、チエッコ九、小銃百三十、
モーゼル三を持った敵が、道路の両側にズラリと集まりました。
七百名ぐらいおりましたが、早速まず武装解除をさせました。
小銃には全部装填(そうてん) してありました。
〝これだけの人員が、それに比較して殆ど戦闘力のない我々に向かってくれば、
ひとたまりもなかったのに〟 と後でホーッとしたことでありました。
これらの兵器は輜重(しちょう) 兵に持たせました。
黄浦江付近まで−歩兵第四十七連隊(大分) 第三大隊第十二中隊座談会より
A軍曹
松江を朝の七時頃出発しました。
横光分隊が路上斥候となり、部隊の一五〇メートル前方を前進、その後に車両部隊が続行、
その車両の間に二個分隊を適当の間隔に配置して、一個分隊が後方警戒に当たりました。
道の曲がり角のところで、向こうから十名ばかり白旗をかかげてくるのに出逢いました。
斥候よりの報告がないので、小隊長殿が駆けつけて見られますと、どうやら降伏してきたらしいのです。
都合のいいことには小隊の坂部上等兵が少し支那語が話せるので、訊ねさせてみますと、
向こうの部落に同僚が七百名ばかりいて、みんな降伏したいと言っているとのことです。
七百名 − 一寸(ちょっと) 想像のつかない話です。それに自分達は一個小隊(約七十名)、
車両部隊なんて戦闘力は無いも同じです。敵に抗戦の意志があるとすれば、これは大変なことです。
それでこちらは慎重にかまえ、二個分隊で武装解除に当たり、他は全部戦闘隊形をとらせられました。
二十三連隊の大隊砲も通り合わせましたので、これにも陣地進入をしてもらい、
降伏兵がくるのを待ちました。
そうして待っている間に、崑山から帰りの軍参謀や軍属の方もこられて、やがて、
向こうから長蛇の列をなして、こちらにくる支那軍を迎えました。
皆逞(たくま) しい顔つきをしている、
無表情な彼らの神経に隠されているのが何だろうかと一寸たじろぎもしましたが、
虎穴に入らずんば虎児を得ず、と武装解除をさせ、軍属にたのみ前進しました。
そのときびっくりしたのは彼らの持っていた書類の中に、出征当時の六師団の
中隊長以上の名が全部載っていたことです。
∪曹長
あれは実際特ダネだった。
くるもきたり七百名の降伏兵を見たとき、私はもう、戦争はじき済むと思いました。
奴らも今頃は皇軍の協力者として、新支那へ力強い生命を吹き込んでいることでしょう。
これは メッセージ 97 (kireigotowadame さん)への返信です.