12月12日 混乱と地獄絵の南京城内1
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2011/08/17 18:30 投稿番号: [941 / 2250]
児島襄著
『日中戦争4』
216〜217p
《 首都衛戍司令官唐生智が、首都放棄命令をだす前から、
城内には城外からの敗兵の流入がめだち、逃散にそなえて食糧を確保すべく
食料品店をおそう中国兵がふえていた。
揚子江を背にして包囲された南京では、容易に想いうかぶ脱出点は下関埠頭である。
退却命令が発出される数時間前から、すでに隊伍をくんで
下関にむかう中国兵の姿がみられた。
中山路にはいると次々に武器をすて、街路は小銃、手榴弾、銃剣、背嚢、
さらには機銃、火砲、乗用車、トラック、荷馬車でおおわれた。
後続する兵は、それら兵器を路の両側に蹴り寄せ、
その上に自分の武器をほうり投げ、動かぬ車輌には放火した。
ほとんどの兵が軍服をぬいで便衣に着がえ、便衣を持たぬ者は、
避難をいそぐ市民の衣服をはぎとり、中にはハダカのまま走りだす兵もいた。》
程奎朗参謀の回想、 『南京戦史資料集Ⅱ』
から。
《 中山北路の海軍部の前に行くと、第三六師の部隊がいて道路上に機関銃を
置いて交通を封鎖し、南から来る部隊の通過を許さない。(略)
中山北路上に、車輌や部隊が一杯になって潮のようにユウ江門に殺到し、
城を出る人たちは先を争い、前に押し後に引き、ある者は踏み倒され、
おじいさん、おばあさんと叫ぶ。
第三六師の歩哨は城門の胸墻
(きょうしょう)
上に機関銃を置き、
大声で〝押すな、押すと射つぞ!〟と叫ぶが、人々は依然押し合っていた。》
(東中野修道著
『南京大虐殺の徹底検証』
81p)
東中野修道著
『南京大虐殺の徹底検証』
82p
《 ダーディンは昭和六十二年に、・・・語った。
『南京事件資料集 ①アメリカ関係資料編』
によれば、脱出せんとする支那兵が
ユウ江門で衝突し合った。そして
「踏みつけ」
あって、死骸の山ができた。
同じくスティールも、大勢の兵士がユウ江門から脱出しようとして
「圧死」
したと、昭和六十一年に初めて真相を語った。》
つづく
これは メッセージ 940 (kireigotowadame さん)への返信です.
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