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松本重治氏、ジャキノ難民区へ3

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2011/05/19 18:41 投稿番号: [841 / 2250]
松本重治氏著   『上海時代(下)』   中公新書    239〜240p


《 それは喧嘩ではなかった。一段高いところに立っている人が乾パン、饅頭、
煎餅その他を難民たちに配給している最中で、その配給の食料を、

とり巻く多くの手が一度に、とり合っている光景であった。
神父は、突如、飛ぶように、難民の中に分け入り、大声で、

「とり合いはやめろ。しずかに順々に配給を受けろ」   と怒鳴って制止しようとする。
それでも、一両日以前から何も食わない人々は制止にも耳を藉 (か) さず、

二十本や三十本の手が一度に、一つの饅頭をつかもうとする。
神父は、傍らの強そうな難民の手を払いのけたり、頭を叩いたりしている。



先刻まで静かだった神父は、たちまち阿修羅か仁王のように変って、
乱媒なまでに、いうことを聴かぬ難民をなぐりつける。

やっとこさでみんなが静かになって配給を受けるようになった。
餓鬼ということばを知っていた私は、生れて初めて、餓鬼の生態を眼前に見た。

同時に、神父になぐられた難民は、少しも抵抗しない。
愛の鞭とはこのようなものか、とも考えさせられた。

私は、黙然として難民救済に挺身する神父ジャキノの姿を見直した。

ほんとに偉い人間の一人がここに立っているのだとの実感を禁じ得ず、
神父との別れの握手をしながらも、自然と私の頭が下った。



難民救済のための食料は、神父の依頼に応じて、杜月笙ら青幇の福祉部業部の手で
用意されたのだと、神父から承知した。・・・とにかく、ジャキノ神父の主唱、

主宰した難民区は大成功であった。私も、この計画の初めに、少しばかりの
お手伝いができたことをいまだに嬉しく思っている。・・・

日高さんの手紙に、彼の回想らしい箇処があるので、日本側の主役としての
日高さんの往年の努力を記念する意味で左に掲載させてもらう。



「……南市陥落はたしか十一月十一   (ママ)   日だったと思います。
夜来いよいよというので、寝ていても気になり、早朝南市に行って見たところ、

大した混乱もなく、南市の   (難民区の)   境界線近くのジャキノ神父の本部に
辿 (たど) りつきました。神父は、ニコニコしながら、手を振り、無事を祝し、

ナカナカ大変でしたが、区内には一発も弾丸が落ちなかった。

だが境界の近くで破裂した弾片でこの通り長い黒の法衣の裾が裂けているのを
見せ、境界線に立っていた様子を示しました。



そこでビールを一杯のんで祝杯、その辺を一巡。

女、ことに児等がたかって神父の手にブラ下り、神父は頭を撫でて、
ポケットからボンボンを出して皆に与える。

何とも云えぬほほえましい光景は、今も眼底にあります。
その後数回訪ねて見ましたが、いつも真に気持のよい場面に接し、

当時、毎日陰惨な日夜を過ごした私にとって、
一つのオアシスでした。日本軍人の態度も穏当でした。

……時々切迫した光景もあり、兵が銃をつきつけたこともあった事もあるそうです。
そのとき後方から兵がソッと十字を切って見せて、神父をはげました話も聞きました。」》



*   「一両日以前から何も食わない人々は制止にも耳を藉 (か) さず・・・・
   餓鬼ということばを知っていた私は、生れて初めて、餓鬼の生態を眼前に見た。」

   と、松本氏は書いているが、日本の大震災に於ける、日本人の行動を見たら、
   その見方は、違うのではないか、と思う。

   日本人は一両日以前から何も食ってなくても、整然とするだろう。
   松本氏の善人心が中国人の行動を、善意に勘案しているようだ。
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