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11月9日 南市攻略の下調べ

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2011/05/12 18:48 投稿番号: [834 / 2250]
塚本誠著   『ある情報将校の記録』   213〜215p

《   戦況が一段落つく頃、私は下士官何人かと再び崑山花園アパートに寝起き
していた。十一月八日夜北站 (上海北駅) 方面に激しい銃砲声が起こる。

私のアパート付近にも敵弾が飛来する。私はいよいよ、この夜北站の敵が
退却を始めるものと察した。残るのは南市付近の敵だけであると判断した。


その頃、南市の敵を降伏させる工作が軍特務部の楠本大佐の手で行なわれており、
例の森さんが協力していたようである。

軍特務部とは、占領地区軍政を担当するもので、占領地区の拡大とともに
上海武官室がこれに改編されたものである。

この頃、喜多少将は王克敏と共に、 「北支政権」   樹立のため北京へ移り、
後任の軍特務部長は原田熊吉少将(22期)である。



十一月九日、私は部下若干名を率い自動車で南市へ向かった。
途中蘇州河の鉄橋は爆破されていて工兵隊が修築中なので車を捨てて前進した。

あとから追撃隊の尖兵が来たので、連絡すると歩六五 (岐阜) の青山中隊とわかった。
これと同行して進むと十数名の敵を発見し尖兵中隊は停止して機関銃を馬から

おろそうとしている。私は   「敗残の敵だ。突っ込んで行けば逃げる」   といって、
いっしょに突撃すると案の定逃げてしまった。


その時敵情捜索の友軍戦車二台が来たので要務を告げて私はその先頭戦車に乗って
前進をつづける。   竜華飛行場を偵察の後、敵の淞滬警備司令部のあった建物の前に来た。

ここは警備司令楊虎のいたところで大前軍曹、熊野通訳はここで銃殺された疑いもある。
私は下車して建物の中を一巡したが手懸りになるようなものは見当たらなかった。



南市の敵が撤退を始めたという情報はなかったので楠本大佐の工作の成果は疑わしい。
やがて日暉クリークの橋が見える。そこを渡れば南市だ。

戦車がその橋にさしかかろうとする一瞬、大爆音と共に白煙が戦車の展望孔をとざした。
敵が、あわてて地雷に点火してしまったらしく、私の命は助かった。

敵弾が戦車の鋼板にはね返る。対岸には敵の陣地があることがわかった。
私は偵察の目的を達した。

戦車長を促して竜華に向かって後退すると青山中隊が来たので敵情を話し、
現在地に停止し主力の前進を掩護すべきであろうと意見を述べた。



その時、同行していた   「朝日」   の記者と称する人が私から取材をしようとしたので、
私は   「急いで報告に帰らねばならぬ。取材がしたいのなら白川支局長にきいてくれ」

と言いすてて戦車に飛び乗った。途中楠本大佐に出会った。
大佐は南市工作の成果を確めに出てこられたのである。

私は遺憾ながらそれが不成功に終ったことを報告せざるをえなかった。

大場鎮に進出していた軍司令部へ行き長勇第二課長に南市攻撃の必要を
報告し、再び竜華へとって返して宿営した。》


*   塚本氏は、機関銃を降ろそうとする青山中隊の兵に、「敗残の敵だ。
   突っ込めば逃げる」   といって、中国兵を殺させず、逃がさせた。

   中国や反日日本人の言う、残虐日本兵とは、正反対の行為をしている。
   しかし、反日人は残虐日本兵の妄想を好み、事実を見るのを拒否している。


つづく
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