維新後の日朝関係補足1
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2009/06/23 19:19 投稿番号: [75 / 2250]
おや、撤退するんじゃ無かったの。
あのね、ここは南京のトピなのよ。
>その国に行って文書を受け取れと言って、断りの理由がむちゃくちゃだから武力に訴える方向に動いたと言うことですね。
どういう曲解の仕方をしているの?
しょうがないな!
少し、詳しく書くか、といってもあなたの解るように書くと膨大な量になるからなー。
少ないと曲解するし、困ったものだ。
国書を受理しなかったら、政権交代の通知ができないでしょう。
日本と朝鮮は善隣友好国なのですよ。
明治新政府が出した国書を朝鮮釜山の役人が拒否しました。
その文書の中に「皇」「勅」の字があったからですが、これがなぜ、問題になるのか、
それは、朝鮮が、清国の属国だったからです。
朝鮮にとって「皇」とは清国皇帝であり、「勅」とは清国皇帝の命令だったのです。
朝鮮王にとって、この二文字は使えません。
それを、東海の倭人が使っているのがけしからんというわけです。
そして、これを受け取れば自動的に日本の属国になるという発想です。
しかしながら、彼らが1471年に著わした『海東諸国紀』には、日本を訪問したときのことが記述され、神代から後小松天皇までの略歴が書いてあるのです。
自分の国の文献に日本の天皇を天皇と書いているのに、こんな事を言っているわけです。
要するに、この釜山の役人は自分とこの文献を知らなかったのです。
しかも、これは、政権交代の経緯を話しているだけですから、別に、朝鮮王に日本の天皇を崇めよと言っているわけではありません。
しかし、朝鮮の役人はこだわりました。
かつ、文書が旧来のものと違うと何癖つけました。
徳川から明治新政府になったのだから、違うのは当然でしょう。対馬藩主の官職も変わります。だから、署名の役職が違うわけです。
それが、けしからん、徳川時代のままで持って来いと言うのです。
しかし、それは、新政府を認めないということで、日本に喧嘩を売っているのと同じ事なのです。本来なら、そこで戦争になってもおかしくないわけです。
だから、日本国内に征韓論が巻き起こりました。
しかし、日本政府はこれを抑え、話し合いをしようとしました、しかし、朝鮮の役人は頑として応じません。
しかも、もっと問題な事は、朝鮮に上陸が許されているのは、対馬藩の人間だけで、他の日本人は許されていない事です。それも釜山の倭館だけ。倭館の港に船をつけその敷地内だけだったのです。
その奥に行くことは禁止されていました。
日本では、朝鮮通信使は江戸まで行けたのに。
つづく
これは メッセージ 73 (Valve1000 さん)への返信です.
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