蘇州河敵前渡河
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2009/06/23 18:30 投稿番号: [74 / 2250]
戦史叢書『支那事変
陸軍作戦1』の380p
《二十六日、軍は大場鎮を攻略し、滬寧鉄道を遮断し、二十七日、蘇州河の線に到達した。
・・・
一方、海軍陸戦隊は27日に閘北 (ざほく) 一帯を占領し、掃蕩を完了した。》
陸戦隊を攻撃していた八十七師や八十八師は蘇州河の南側に移動しました。
(同上383p)には
《「中国軍の記録 ― 淞滬付近の戦闘(二) 『抗戦簡史』」
次いで(10月)三〇日新芤鎮以南で抵抗を継続した。この際、わが方の撤退掩護の任務をもって
閘北四行倉庫を死守する八百の勇士はついに孤立となったが、命により撤退し
かつ英国の好意により租界内に退入した。》
とあります。
蘇州河の南に逃げたからと言って戦争をやめたわけではありません。
日本軍の占領地の周りは全部中国軍が包囲しています。
彼等は外国人の協力を得て、戦争を続けています。
西岡香織著『報道戦線から見た「日中戦争」』91pには
《蘇州河以南、両租界住民の九十%以上は支那人であって、
中には抗日に燃える分子も多かったので、租界当局が口にいう中立の守れる筈がなく、
支那軍人は便衣に変じ租界内に於て作戦に関係ある仕事に従事し、
観測所や信号所を設けていたことも認められる。
租界の住民は陣地を築いたり、軍隊のために糧抹や弾薬を補給運搬し、
又各病院には支那軍の戦傷者が充満したのであるが、甚だしいのは、
工部局の衛生自動車が弾薬や戦傷患者を運搬したと言うことである」 (馬淵『報道戦線』)》
とあります。
そこで蘇州河の南へ行くため敵前渡河が行われました。
しかし、簡単には行きません。
戦史叢書『支那事変 陸軍作戦1』380〜381p
《蘇州河南岸には平時から構築された特火点陣地があり、事変勃発後は野戦築城により補強されていた。
上海派遣軍司令官は、軍主力が蘇州河の線に進出すると、上海南市を完全に封鎖するため、引き続き蘇州河南岸の敵を攻撃するに決した。・・・
第三・第九師団を十一月二日までに渡河させ、第百一師団を上海北西側に集結し
第三師団に続いて渡河できるよう準備させ、第十一師団は南翔方面の敵に対し軍主力の右側を掩護するよう部署した。
・・・
第三師団は十月三十一日、渡河を開始した。左翼方面では一部が渡河しただけで頓挫したが、
右翼方面では十一月五日ころ、渡河に成功し、逐次南岸に地歩を獲得した。
また第九師団は、十一月一日右翼隊方面の渡河に成功し、
左翼隊は二日、右翼隊の渡河点から渡河してその左翼に進出したが、
師団正面の優勢な敵は、師団の渡河点に対し正面から逆襲を繰り返し、さらに蘇州河北岸
南翔方面から逐次兵力を南岸に移して師団の右側を圧迫したので、師団は一時苦境に陥った。
よって軍司令官は、第十一師団に江橋鎮(南翔南東約四粁)付近を攻撃させた。
第九師団は、敵の攻撃を排除し逐次南方に地歩を占めたが、軍司令官は、同師団の攻撃を
更に進展させるため、七日、第百一師団の一部(歩兵一聯隊、野砲兵一大隊基幹)を配属し、
また第百一師団主力をして第九師団の左翼後で渡河を準備させた。
第百一師団の一部は、八日、第九師団の右翼に加入し、主力は架橋を実施したが、九日、軍命令により渡河を取りやめた。》
《二十六日、軍は大場鎮を攻略し、滬寧鉄道を遮断し、二十七日、蘇州河の線に到達した。
・・・
一方、海軍陸戦隊は27日に閘北 (ざほく) 一帯を占領し、掃蕩を完了した。》
陸戦隊を攻撃していた八十七師や八十八師は蘇州河の南側に移動しました。
(同上383p)には
《「中国軍の記録 ― 淞滬付近の戦闘(二) 『抗戦簡史』」
次いで(10月)三〇日新芤鎮以南で抵抗を継続した。この際、わが方の撤退掩護の任務をもって
閘北四行倉庫を死守する八百の勇士はついに孤立となったが、命により撤退し
かつ英国の好意により租界内に退入した。》
とあります。
蘇州河の南に逃げたからと言って戦争をやめたわけではありません。
日本軍の占領地の周りは全部中国軍が包囲しています。
彼等は外国人の協力を得て、戦争を続けています。
西岡香織著『報道戦線から見た「日中戦争」』91pには
《蘇州河以南、両租界住民の九十%以上は支那人であって、
中には抗日に燃える分子も多かったので、租界当局が口にいう中立の守れる筈がなく、
支那軍人は便衣に変じ租界内に於て作戦に関係ある仕事に従事し、
観測所や信号所を設けていたことも認められる。
租界の住民は陣地を築いたり、軍隊のために糧抹や弾薬を補給運搬し、
又各病院には支那軍の戦傷者が充満したのであるが、甚だしいのは、
工部局の衛生自動車が弾薬や戦傷患者を運搬したと言うことである」 (馬淵『報道戦線』)》
とあります。
そこで蘇州河の南へ行くため敵前渡河が行われました。
しかし、簡単には行きません。
戦史叢書『支那事変 陸軍作戦1』380〜381p
《蘇州河南岸には平時から構築された特火点陣地があり、事変勃発後は野戦築城により補強されていた。
上海派遣軍司令官は、軍主力が蘇州河の線に進出すると、上海南市を完全に封鎖するため、引き続き蘇州河南岸の敵を攻撃するに決した。・・・
第三・第九師団を十一月二日までに渡河させ、第百一師団を上海北西側に集結し
第三師団に続いて渡河できるよう準備させ、第十一師団は南翔方面の敵に対し軍主力の右側を掩護するよう部署した。
・・・
第三師団は十月三十一日、渡河を開始した。左翼方面では一部が渡河しただけで頓挫したが、
右翼方面では十一月五日ころ、渡河に成功し、逐次南岸に地歩を獲得した。
また第九師団は、十一月一日右翼隊方面の渡河に成功し、
左翼隊は二日、右翼隊の渡河点から渡河してその左翼に進出したが、
師団正面の優勢な敵は、師団の渡河点に対し正面から逆襲を繰り返し、さらに蘇州河北岸
南翔方面から逐次兵力を南岸に移して師団の右側を圧迫したので、師団は一時苦境に陥った。
よって軍司令官は、第十一師団に江橋鎮(南翔南東約四粁)付近を攻撃させた。
第九師団は、敵の攻撃を排除し逐次南方に地歩を占めたが、軍司令官は、同師団の攻撃を
更に進展させるため、七日、第百一師団の一部(歩兵一聯隊、野砲兵一大隊基幹)を配属し、
また第百一師団主力をして第九師団の左翼後で渡河を準備させた。
第百一師団の一部は、八日、第九師団の右翼に加入し、主力は架橋を実施したが、九日、軍命令により渡河を取りやめた。》
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