蒋介石 日本の和平案を蹴る
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2009/06/22 18:53 投稿番号: [71 / 2250]
戦史叢書『支那事変
陸軍作戦1』456〜457p
《十月二十一日、広田外相はディルクセン大使に、ドイツが九カ国会議への参加を拒否するとともに日支和平のあっせんに乗り出すことを希望する旨伝えた。
同日、ディルクセン大使から報告を受けたドイツ外務省は、翌二十二日、在支トラウトマン大使あて 「 ドイツは日支直接交渉のためコミュニケーションのチャンネルになる用意のある」 旨を打電した。
トラウトマン大使は、前述の馬奈木中佐との会談により日本参謀本部の意向も承知したので、
十月三十日、中国の陳介外交部次長と会談し、本国政府の意向を伝達すると同時に
日本との協定を求めるべき時がきた旨を、非常な熱意をもって語った。
陳次長も乗り気になり日本側の条件を知りたいと述べた。》
児島襄著『日中戦争4』156p
《十月二十八日、日本政府は、外務次官掘内謙介を通じて、
駐日ドイツ大使H・ディルクセンに日中和平の仲介を打診してきた。
ドイツ外務省は、駐中国大使トラウトマンに中国外務部長陳介に日本側の打診を
つたえさせるとともに、次官H・マケンゼンはドイツ側としては日中両国の「伝書使」の役目
以上のことをやるつもりはない、と大使に通告した。
しかし、日本側は、十一月二日、あらためて外相広田弘毅が大使ディルクセンをまねき、
日中和平についての日本側条件を提示した。》
鈴木明著『旧「南京大虐殺」のまぼろし』159p
《十一月二日、日本は七つの条件で停戦を申し入れた。その条件とは
①内蒙古に自治政府を樹立する。②満州国国境に非武装地帯を設定する。
③上海の非武装地帯を拡大する。④抗日政策を止める。⑤共同して防共に当る。
⑥関税率の引下げ。⑦中国における外国権益を尊重する、の七項目であったと伝えられる。》
戦史叢書 『支那事変 陸軍作戦1』 457p
《 十一月三日、ディルクセン大使は、ドイツ外務省に右会談のもようを報告し
「日本のこれらの条件は極めて穏健なものであるから、中国がこれを受諾するよう圧力をかけるのが賢明と思われる」 と述べた。
ドイツ外務省も、日本側の示した条件は交渉開始の基礎として妥当なものと判断し、
同日、トラウトマン大使あて、これを中国側に伝えるよう訓令した。
十一月六日、トラウトマン大使は、孔祥煕実業部長だけが列席している場で、
蒋介石に日本側の意向を伝えた。蒋介石は現在これに応じられないと回答した》
児島襄著 日中戦争4』 156〜157p
《大使ディルクセンは、日本側条件は 「穏健」 なものであり、中国側も 「面子」 をつぶさずに受諾できると思う、と、外相ノイラートに報告・・・
外相ノイラートは、大使ディルクセンの意見に同意し、翌日、駐中国大使トラウトマンに蒋介石との接触を指示し、この日、五日の会見になったのである。
蒋介石自身は、この日の会談については、簡単に次のように記録している。
「徳国駐華大使陶徳曼(トラウトマン)、試図斡旋中日戦争、伝達敵方所主張之媾和条件、厳詞拒絶之」》
鈴木明著 『新「南京大虐殺」のまぼろし』 222p
《 蒋介石は直ちに、この提案に対して 「拒絶」 の意志を伝えた。
これは第二次 「国共合作」 をやったばかり、という中国側の空気もあったと思うが、
何よりも大きな 「拒否原因」 は、十一月三日から行われていた
「ブリュッセル九カ国会議」 の行方を見守っていたからである。》
白崇禧も 『これだけの条件だとすれば、何のため戦争をしているのか』 (上海時代・下278p) と言ったくらい温和な条件なのに、蒋介石は蹴ったのです。
《十月二十一日、広田外相はディルクセン大使に、ドイツが九カ国会議への参加を拒否するとともに日支和平のあっせんに乗り出すことを希望する旨伝えた。
同日、ディルクセン大使から報告を受けたドイツ外務省は、翌二十二日、在支トラウトマン大使あて 「 ドイツは日支直接交渉のためコミュニケーションのチャンネルになる用意のある」 旨を打電した。
トラウトマン大使は、前述の馬奈木中佐との会談により日本参謀本部の意向も承知したので、
十月三十日、中国の陳介外交部次長と会談し、本国政府の意向を伝達すると同時に
日本との協定を求めるべき時がきた旨を、非常な熱意をもって語った。
陳次長も乗り気になり日本側の条件を知りたいと述べた。》
児島襄著『日中戦争4』156p
《十月二十八日、日本政府は、外務次官掘内謙介を通じて、
駐日ドイツ大使H・ディルクセンに日中和平の仲介を打診してきた。
ドイツ外務省は、駐中国大使トラウトマンに中国外務部長陳介に日本側の打診を
つたえさせるとともに、次官H・マケンゼンはドイツ側としては日中両国の「伝書使」の役目
以上のことをやるつもりはない、と大使に通告した。
しかし、日本側は、十一月二日、あらためて外相広田弘毅が大使ディルクセンをまねき、
日中和平についての日本側条件を提示した。》
鈴木明著『旧「南京大虐殺」のまぼろし』159p
《十一月二日、日本は七つの条件で停戦を申し入れた。その条件とは
①内蒙古に自治政府を樹立する。②満州国国境に非武装地帯を設定する。
③上海の非武装地帯を拡大する。④抗日政策を止める。⑤共同して防共に当る。
⑥関税率の引下げ。⑦中国における外国権益を尊重する、の七項目であったと伝えられる。》
戦史叢書 『支那事変 陸軍作戦1』 457p
《 十一月三日、ディルクセン大使は、ドイツ外務省に右会談のもようを報告し
「日本のこれらの条件は極めて穏健なものであるから、中国がこれを受諾するよう圧力をかけるのが賢明と思われる」 と述べた。
ドイツ外務省も、日本側の示した条件は交渉開始の基礎として妥当なものと判断し、
同日、トラウトマン大使あて、これを中国側に伝えるよう訓令した。
十一月六日、トラウトマン大使は、孔祥煕実業部長だけが列席している場で、
蒋介石に日本側の意向を伝えた。蒋介石は現在これに応じられないと回答した》
児島襄著 日中戦争4』 156〜157p
《大使ディルクセンは、日本側条件は 「穏健」 なものであり、中国側も 「面子」 をつぶさずに受諾できると思う、と、外相ノイラートに報告・・・
外相ノイラートは、大使ディルクセンの意見に同意し、翌日、駐中国大使トラウトマンに蒋介石との接触を指示し、この日、五日の会見になったのである。
蒋介石自身は、この日の会談については、簡単に次のように記録している。
「徳国駐華大使陶徳曼(トラウトマン)、試図斡旋中日戦争、伝達敵方所主張之媾和条件、厳詞拒絶之」》
鈴木明著 『新「南京大虐殺」のまぼろし』 222p
《 蒋介石は直ちに、この提案に対して 「拒絶」 の意志を伝えた。
これは第二次 「国共合作」 をやったばかり、という中国側の空気もあったと思うが、
何よりも大きな 「拒否原因」 は、十一月三日から行われていた
「ブリュッセル九カ国会議」 の行方を見守っていたからである。》
白崇禧も 『これだけの条件だとすれば、何のため戦争をしているのか』 (上海時代・下278p) と言ったくらい温和な条件なのに、蒋介石は蹴ったのです。
これは メッセージ 68 (kireigotowadame さん)への返信です.