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揚子江方面 宜昌、沙市引揚げ

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2011/01/20 18:43 投稿番号: [716 / 2250]
戦史叢書 『中国方面海軍作戦〈1〉』   288p

《 七月二十日、田中宜昌領事は、高井長沙領事代理から、
開戦の場合、中国は日本軍艦の武装解除を行うとの情報を得た。

また、二十日、二十一日の内地の   「ラジオ」   その他は時局の
ひっ迫を感じさせるものがあった。

よって、宜昌市内の情勢は表面平静であったが、引揚げ準備を行うこととし、
二見艦長有田貢中佐は谷本司令官に二十日、日清汽船一隻の常時碇泊方を要請し、

二十一日   「在留邦人ノ引揚ニ着手シ然ルベキヤ」   と打電した。
また、田中宜昌領事は、二十一日夕、中国側に引揚げ時の遺留財産保護を申し入れた。



また、二十二日、在漢口   「保津」   は   「二見」   と交代すべき第十一戦隊命令により、
同日漢口発、二十六日午後宜昌着、 「二見」   から宜昌領事館の御真影を奉遷のうえ

警備や申し継ぎを受けた。
二十七日、日本人使用の中国人に対する圧迫、その他が加わった。

同夜   「二見」 (二十一日突風のため長陽丸及び中国船に接触)   による
中国側被害者四、五〇名が、損害賠償につき、日清汽船事務所に押し掛けて来た。

二十八日、保津艦長上田光治中佐は、第三艦隊電により、自重警戒すべき旨を、
官房機密電により、居留民引揚げに関する中央の方針を承知した。

また、田中領事は、同日朝、中央部から、情況によっては早期引揚げ
差し支えなき旨の別命に接した。

よって、同日午後、飯事館において関係者が打合せを行い、
八月一日 08:00 までに居留民総引揚げを完了し、

長陽丸に乗船の上、重慶居留民と歩調をそろえ、漢口に引揚げることとなった。



二十九日、宜昌では北支中国軍快勝の号外が飛び、
爆竹連発し、軍隊、学生等は市中行進した。

一部中国人の日本人への侮蔑行動などが顕著となったので、
我が居留民は行動を慎重にしつつ引揚げ準備を急いだ。

三十日早朝、上田 「保津」 艦長は、谷本司令官から、引揚げ期日承認の電を受領し、
重慶居留民の出発予定日時を考慮し、

八月一日   09:00   宜昌発、途中沙市居留民を収容し、漢口に回航と予定した。
翌三十一日朝   「重慶居留民の引揚げ時機決定」   の報その他に接し、

「明八月一日宜昌引揚げ」   と確定した。


沙市においては、県党部は宋哲元あて激励電の打電、抗敵講演会の開催などを実施したが、
十九日来の増水により市民に排日行為なく、日清汽船による荷動きも相当あった。

二十五日、上田   「保津」   艦長は、 「二見」   と宜昌警備交代のため同地へ
向かう途中沙市に寄港し、居留民 (領事を合わせ一三名) 引揚げにつき打合せた。



二十八日、沙市居留官民は引揚げ準備を完了し、長陽丸 (宜昌から下江) の
来着を待った。三十一日、小林領事事務代理は同地の中国軍当局に遺留財産の保護を
申し入れ、公文を交換した。

八月一日、宜昌においては、 「保津」   の厳戒下 09:15 官民総員 (五七名) の
長陽丸乗船を無事終了した。 10:00 「保津」   は長陽丸を護衛して漢口に向け宜昌発、

途中 15:30 から約一時間沙市に仮泊し、同地居留民の長陽丸乗船を警戒し、
三日 12:45 、無事漢口に到着し任務を終了した。

なお、長陽九は漢口情勢険悪のため、宜昌、沙市居留民乗船のまま、
翌四日 15:50 漢口発下江し、六日午後上海に安着した。

ただし、領事館及び日清汽船関係者は漢口に上陸した。》


つづく
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