軍艦 「栂」 への中国機 非礼事件
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2011/01/17 18:42 投稿番号: [713 / 2250]
北支で盧溝橋事件が起こってから、揚子江流域でも、危険な状況になって来ます。
この時、中国軍機が日本の軍艦
「栂 (つが)」
に対して、挑発的な行動に出ました。
戦史叢書 『中国方面海軍作戦〈1〉』
273p
《 南京においては、七月中旬市内は平静であったが、七月十六日ころから軍隊の移動が
活発となり、二十三日在泊中の
「栂」
に対する中国飛行機の非礼行為が発生した。
すなわち、二十日ころから毎日、中央軍偵察機が
「栂」
上空に飛来
(いずれも高度一、〇〇〇米以上)
していたころ、
二十三日午前には
高度五〇〇米で直上を通過、 更に午後には
艦尾方向
高度五〇〇米付近から
緩降下し、右舷至近距離を 艦橋とほぼ同高度で通過、
艦首付近から左旋回、上昇避退した。 「栂」
はこれに対し航空機防禦の
配置につき、各機銃実弾装填、連続照準し一触即発の姿勢を取った。
右の非礼行為に対し、南京駐在武官中原三郎海軍大佐は、同月夕刻軍政部を訪問し、
「四月十二日大角海軍大将乗艦の
『栂』
に対する非礼事件あり、今また
本事件発生、誠意を疑う」
旨、厳重抗議した。
翌二十四日、中国側から、南京はじめ各航空部隊に対し、厳重に注意し、
かつ当該操縦員に対し調査の上処分する旨、回答があり、事件は一応落着した。
南京市長馬超俊は、二十四日、 「時局ますます重大化する今日、首都南京の治安は
最も重要である。もし民衆を扇動し過激行為ある場合は厳重処罰する」
旨布告して治安の維持に努め、また物価取り締まりを行った。
これより先、十五日守土抗敵後援会が組織されたが、全般的抗日運動の中心は
むしろ中央党部であり、同部は新聞雑誌その他の出版物、音楽、戯劇、
ラジオなどの方法を通じ、抗敵精神の向上に努め、市内は表面平静であったが、
抗日風潮が瀰漫 (びまん) 深刻化したものと認められた。
また、二十三日、中国軍艦江元、楚同 (砲艦)
が上流に向け出港し、
陸兵約五〇〇名が浦口から下関に移動、三十日航空機用器材が江上輸送で
上流に向かうなど、軍隊、艦船の移動がひん繁となり、また獅子林山砲台を
整備するなど、戦備の促進に努めつつあることが看守された。》
*
最近でも、中国軍のヘリコプターが、自衛艦のすぐ側まで接近してきたという事件が
ありましたが、中国は、大日本帝国の時代でも、こういう事をしていたのです。
日本が優しく、善意で接していると、そういう事をするわけです。
中国が善処するとか言っても、口だけで信用できないのは、今も昔も同じ事。
口では、 「過激な者を取り締まる」
とか言いながら、裏では、反日を煽る、
それが中国ですから。
つづく。
これは メッセージ 712 (kireigotowadame さん)への返信です.
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