7月29日 通州虐殺事件4 近水楼4
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2011/01/03 14:55 投稿番号: [689 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇
盧溝橋事件』 読売新聞社刊
390〜391p
《 この一言、実に一同に最後の決心をつけさせてくれました。
ほこり臭い土塀の路次を抜けて行くと、あたりの中国人や野良犬までが、
胡散臭さそうな眼付きをして、私達一行を眺めているのです。
私達は黙々として様々な想いにふけりながら、
文字通り屠所の羊となって曳(ひ) かれて行くのでした。
やがて銃殺場につきました。そこは北門城壁のすぐ近くで、城壁の土は一部分
崩れ落ち、その斜面に楊柳の潅木 (かんぼく) が点々生い繁っております。
城壁の内側には黄色く濁った水をたたえて、幅十メートルばかりの濠があり、
私達はその城壁の下、細い道路上に一列に立たされて、
濠の手前から銃殺される事になったのです。
ちょうど真昼どき、非常な暑さでしたけれど、
この時まで暑さの事なんかちょっとも考えた事はありませんでした。
私が一団の最先頭に立って城壁の下まで進んで行くと、
初めて城壁からムーッと暑さの照り返しがくるのを意識しました。
振り返って後を見ると、濠のあちらでは二十名近くの保安隊が、
隊伍を整えて今、狙撃の準備にとりかかっているではありませんか。
私達十一名は、一列にならんで濠の縁に立たされました。
保安隊の兵が、ガチャリと銃に弾を込めた瞬間
「皆さん逃げましょう」 絹を裂くような女の一声!
とたん、ハッと我に返った私は、もう無我夢中でした。 あらかじめ緩めておいた
手のいましめを外し、一散に城壁の崩れを上へ上へと駆け上りました。
パンパン! ビューンビューン! という音が、私一人を追っかけて来ます。
どこをどう走ったか、全く覚えておりません。次の瞬間、私は城壁上から身を躍らせ、
丈余の城壁の外側を、ズルズル下に滑り降りている自分を見出しました。
石垣に生えた楊の枝がビシンと顔に撥ね返って来る。
両の掌が真赤になるまで擦り剥(む)かれてしまう。
全くこの時の気持といったら、心も身に添わず、使い古した映画みたいに、
眼の前を小さな星の光が盛んに乱れ飛んでおりました。
ドスーン、下に転がり落ちるや否や、私は直ちに小さな溝を渡って、
一散に生い繁る高梁畑の巾にとび込みました。
それこそ本当にモグラかドブ鼠の様な格好だったと思います。私は高梁の幹を
押し分け押し開き、がむしゃらに前方、大きな楊の木の方向に進んで行きました。
途中、背後で激しい一斉射撃の銃声を耳にしましたが、想えばあの銃声が、
逃げ遅れた同胞十名の生命をついに断ってしまったのでしょう。
それからの数日間、本当に飲まず食わずの私は、あるいは高梁の畑に眠り、
あるいはドブの中にひそみ、精神力ただ一つで盲目滅法西へ西へと歩み続け、
八月一日、ようやく北京城朝陽門外に到着する事が出来ました。
いったん銃殺場まで引っ張られて行って、首の座に直った私が、
今、こうしてあなたとお話している事を思うと、夢ではなかろうかと、
今なお我と我が身をつねってみたくなるくらいです。》
児島襄著 『日中戦争4』 文春文庫
54p
《『旭食堂』 では、女性五人が射殺または刺殺され、男の子二人が
足をつかまれてさかさに壁にうちつけられ、頭骨を粉砕されて殺された。》
つづく
390〜391p
《 この一言、実に一同に最後の決心をつけさせてくれました。
ほこり臭い土塀の路次を抜けて行くと、あたりの中国人や野良犬までが、
胡散臭さそうな眼付きをして、私達一行を眺めているのです。
私達は黙々として様々な想いにふけりながら、
文字通り屠所の羊となって曳(ひ) かれて行くのでした。
やがて銃殺場につきました。そこは北門城壁のすぐ近くで、城壁の土は一部分
崩れ落ち、その斜面に楊柳の潅木 (かんぼく) が点々生い繁っております。
城壁の内側には黄色く濁った水をたたえて、幅十メートルばかりの濠があり、
私達はその城壁の下、細い道路上に一列に立たされて、
濠の手前から銃殺される事になったのです。
ちょうど真昼どき、非常な暑さでしたけれど、
この時まで暑さの事なんかちょっとも考えた事はありませんでした。
私が一団の最先頭に立って城壁の下まで進んで行くと、
初めて城壁からムーッと暑さの照り返しがくるのを意識しました。
振り返って後を見ると、濠のあちらでは二十名近くの保安隊が、
隊伍を整えて今、狙撃の準備にとりかかっているではありませんか。
私達十一名は、一列にならんで濠の縁に立たされました。
保安隊の兵が、ガチャリと銃に弾を込めた瞬間
「皆さん逃げましょう」 絹を裂くような女の一声!
とたん、ハッと我に返った私は、もう無我夢中でした。 あらかじめ緩めておいた
手のいましめを外し、一散に城壁の崩れを上へ上へと駆け上りました。
パンパン! ビューンビューン! という音が、私一人を追っかけて来ます。
どこをどう走ったか、全く覚えておりません。次の瞬間、私は城壁上から身を躍らせ、
丈余の城壁の外側を、ズルズル下に滑り降りている自分を見出しました。
石垣に生えた楊の枝がビシンと顔に撥ね返って来る。
両の掌が真赤になるまで擦り剥(む)かれてしまう。
全くこの時の気持といったら、心も身に添わず、使い古した映画みたいに、
眼の前を小さな星の光が盛んに乱れ飛んでおりました。
ドスーン、下に転がり落ちるや否や、私は直ちに小さな溝を渡って、
一散に生い繁る高梁畑の巾にとび込みました。
それこそ本当にモグラかドブ鼠の様な格好だったと思います。私は高梁の幹を
押し分け押し開き、がむしゃらに前方、大きな楊の木の方向に進んで行きました。
途中、背後で激しい一斉射撃の銃声を耳にしましたが、想えばあの銃声が、
逃げ遅れた同胞十名の生命をついに断ってしまったのでしょう。
それからの数日間、本当に飲まず食わずの私は、あるいは高梁の畑に眠り、
あるいはドブの中にひそみ、精神力ただ一つで盲目滅法西へ西へと歩み続け、
八月一日、ようやく北京城朝陽門外に到着する事が出来ました。
いったん銃殺場まで引っ張られて行って、首の座に直った私が、
今、こうしてあなたとお話している事を思うと、夢ではなかろうかと、
今なお我と我が身をつねってみたくなるくらいです。》
児島襄著 『日中戦争4』 文春文庫
54p
《『旭食堂』 では、女性五人が射殺または刺殺され、男の子二人が
足をつかまれてさかさに壁にうちつけられ、頭骨を粉砕されて殺された。》
つづく
これは メッセージ 688 (kireigotowadame さん)への返信です.