入って中国人に南京事件真相議論しましょう

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7月28日 日本側の実力行使開始

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/12/17 18:44 投稿番号: [669 / 2250]
児島襄著 『日中戦争4』 文春文庫
47〜48p

《   −   北京と南京、
この二つの都市は、それぞれ日本の京都と東京に対比できるであろう。

だが、北京と京都では、ともに首都の座を南京と東京にゆずって古都の地位を
たもっているとはいえ、北京は、〝遷都〟された期間がより短いだけに、

なお中国のシンボル的存在とみなされていた。
そして、いまや日中両軍の直接の衝突の場は、その北京を中心にする北支である。


蒋介石は、両国の対決気構えが明らかになった七月二十七日夕、あらためて
第二十九軍長宋哲元にたいして、 「加深壕溝、固守勿退」   と北京保持を電令した。

宋哲元も、決意のほどを強調して返電した。

「北京為華北重鎮、人心所繋……己決心固守北京……決不敢棺有畏避」

このあと、宋哲元は、翌日の夜明けに   「全面進攻」   をする旨を各部隊に指示し、

かねて   「秘密連絡」   していた親日政権である   「冀東防共自治政府」(殿汝耕)
保安隊にたいしても、 「奇襲敵後方」   せよと密令した。



  −   だが、
日本側のほうが、動きはす早かった。

支那駐屯軍司令官香月清司中将は、七月二十八日午前零時、
「独自ノ行動ヲ執ル」   旨の宋哲元あて 〝開戦通告〟 を北京特務機関につたえ、

機関長松井太久郎大佐は、午前二時、北京市政府秘書朱毓真に電話で伝達した。
日本軍の攻撃目標は、中国側の第三十八師 (張自忠)、

第百三十二師 (趙登禹) の主力が駐屯する南苑にさだめられ、
事前の空襲につづいて、午前八時、攻撃前進が開始された。

第二十師団 (川岸文三郎中将) の主力である第四十旅団 (山下奉文少将) が
南方から、支那駐屯軍歩兵第二連隊 (萱島高大佐) が東の通州方向から、

第一連隊 (牟田口廉也大佐) は北西から南苑をめざした。



中国軍は圧倒され、午前十一時には、第一連隊第三大隊 (一木清直少佐) は
南苑北方約一キロに移動して、中国軍の北京への退路遮断の態勢をとる余裕ができている。

正午すぎ、第二十九軍副軍長○(ニンベン+冬) 凌閣と第百三十二師長趙登禹は、
便衣に着かえ、乗用車にかぶせた網に楊柳の枝をさしこんで偽装し、北京にむかった。

が、午後零時五十分ごろ、第一連隊第三大隊が待つ天羅荘部落で阻止され、
二人は機銃弾をあびて戦死した。》


つづく
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