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7月28日 趙登禹将軍を手厚く葬る

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/12/18 15:32 投稿番号: [670 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇   盧溝橋事件』 読売新聞社刊
347p

《 南苑柳営に在って緊急措置を指令していた趙登禹は、日本軍の攻撃がますます
熾烈になってくるにつれ、やがて自らの身の危険を感ずるようになった。

そこで正午過ぎ、脱出すべく決心した。これから北京に引き返そう。
もし俺がここで斃 (たお) れてしまったら冷酷な秦徳純のことだ。

今後百三十二師はいったいどうなってしまうだろう。・・・
二十九軍の副軍長○(ニンベン+冬) 凌閣と、北京城内に潜行するための計画を立てた。》



348〜349p
《 自動車は八十キロのスピードで猛進して来る。

我が散兵壕はこれを前方三百メートルに近づけた後、一斉猛射を浴せかけた。
こんどは重機関銃までがこれに加わっているのだからたまらない。

トラックと乗用車は、三差路の南、わずか五十メートルのところで馬の死体に
乗り上げてしまった。二つの自動車間の距離は精々二十メートルあるかなしかだ。

我が兵は止めの射撃を浴せた。トラックからは一兵も降りて来ない。
乗用車から一人、便衣を纏った男がよろよろとはい出して来て、

道路西側の溝の中に、身体半分をのめり込ませたが、
それもそのまま動かなくなってしまった。

銃声は止んだ。あたりは元の静けさに戻った。
我が兵四、五名が.ハラバラッと壕をとび出して自動車に走り寄った。

先頭のトラックはエンジン部に蜂の巣のような弾痕を留め、
乗っていた兵は折り重なって即死していた。



二、三その中で死んだ真似をしていた者もあったが、
哀れを催したのでそのまま見逃す事にする。

兵はその後方の乗用車に近づいて行った。
自動車の扉は、蜂の巣そっくり、何百と云う弾痕が印されている。

運転手は大腿部に数発の銃創をうけ、ようやく車からはい出して来たが、
ひどい出血のため、間もなくその場でこと切れてしまった。

後部の座席には、痩身便衣の紳士が、掌を膝に置いたまま、
眠るがごとくクッションにもたれて息絶えている。

頭から足の先までにかなり銃弾を受けていた。
その脇の副官らしい男は、横窓に頭をもたせかけたままで動かなかった。

副官のポケットを探ると、第百三十二師中将師長趙登禹という名刺が沢山現れた。



背広一揃と重要信書、すなわち蒋介石主席から宋哲元に宛てた電報、
宋哲元が趙登禹に与えた命令、書簡、その他百三十二師将校の勤惰表なども

一括してクッションの上に置かれてある。
便衣の紳士が趙登禹師長であった事は、明かだった。

はるか後方に停まった後続のトラックも、兵は全員戦死、さきほど溝にのめり込んだ
便衣の男からは、二十九軍副軍長○(ニンベン+冬) 凌閣という名刺が何枚か入手された。

「趙登禹将軍陣没す」   この報は、当時不眠不休の激務に追われ通していた私に、
霹靂一声の衝動を与えた。

ただもう何とはなしに、もっとも身近な人がなくなったような
愕 (おどろ) きに私の胸は一杯だった。



趙登禹の遺骸は、中島軍事顧問の手によって丁重に収容され、戦局小康を得た
八月の初旬、北京外城先農壇の片ほとり、牡丹の名所として有名な古刹、

竜潭寺 (りゅうたんじ) に手厚く葬られる事となった。特務機関や武官室、
軍事顧問部からは幾多麗わしい生花を贈って、趙師長生前の功をたたえた。

  彼の口からはもう、永遠に東亜の和平を聞く事は出来なくなってしまった。


−   しかし将軍よ、乞う意を安んじて瞑目 (めいもく) せよ。
君をもっとも苦しめた秦徳純、馮治安等はすでに北京から追い退けられ、

君は永遠にこの憧 (あこが) れの森の都、北京に骨を埋める事となったのである−

私が独語しながら、彼の墓前に注いだウイスキーの一瓶、それは和平が達成された暁、
心おきなく飲み明かそうと語った彼とのかねての約束を果すべく、

そして真の日華提携を祈念する意味である事を知る者は、
恐らく彼の霊以外、何者もなかったであろう。》


つづく
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