入って中国人に南京事件真相議論しましょう

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7月24日〜25日 郎坊事件 1

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/11/15 18:42 投稿番号: [637 / 2250]
児島襄著 『日中戦争4』 文春文庫
34〜35p

《 郎坊   −   という北寧鉄道の小駅がある。

北京と天津のほぼ中間に位置していて、正確には北京から七十二キロ、
天津からは六十七キロの地点である。

駅の近くに、中国軍第三十八師第百十三旅第二百二十六団の兵営がある。

第三十八師長兼天津市長張自忠は、いわば親日派とみられていたので、
日本側にとっては、この郎坊部隊は危険な存在とは思われていなかった。



だが、その雰囲気も急変した。

北京で宋哲元が、涼しくなってから撤兵する、と、トボけた態度を示した
七月二十四日、佐藤美彦中尉が指揮する電話線修理班が郎坊に到着した。

この付近ではしきりに電柱がきり倒されたり、電線が切断されたりの通信妨害が
おこなわれていたが、この日も電線が切られたので、北京から補修にやってきたのである。

ところが、これまでとちがい、駅の周囲には陣地が構築され、中国兵が、
修理なら武装をといてやってくれ、と要求したり、ときに銃口をむけたりした。



佐藤中尉は   「不吉な予感」   におそわれ、 「最後の肚 (はら)」   をきめねば
ならぬか、と思ったが、ともかくも無事に修理を終えて帰隊した。

すると、翌日、七月二十五日   −
また、郎坊付近で通信線が切断された。

佐藤中尉の報告で現場の空気が険悪とみられるので、こんどは、
天津から修理班と護衛兵を派遣することになった。



支那駐屯軍は、既述したように、応急動員で派兵された関東軍、朝鮮軍の一部の
戦略配置の完了とともに   「作戦」   を開始する計画をたてている。

そして、その配置は、すでに終り、朝鮮軍第二十師団の主力は天津、唐山、
山海関に分駐していた。

支那駐屯軍司令部は、天津に進出した第七十七連隊 (鯉登行一大佐) の
第十一中隊 (五ノ井淀之助中尉) を護衛部隊として派遣した。

修理班と五ノ井中隊が郎坊に到着したのは、午後四時すぎである。

修理は手間どり、五ノ井中隊は宿舎の提供を中国側に要請したが、
第一一三旅長劉振三は拒否した。》



寺平忠輔著 『日本の悲劇   盧溝橋事件』 読売新聞社刊
301

《 夜十一時やや過ぎである。電話が鳴った。
「僕、陳覚生です。時にこんな事を聞いたんです。

今日午後四時半ごろ、郎坊の駅に日本の兵隊さんが一ヶ小隊ばかりやって来て、
宿舎を貸せとか貸さぬとかいって、中国軍と睨み合いを始めたんだそうです。

何かそんな情報、あなたの方に入っていませんか」
「知らんですよ。それは初耳です」

「困りましたなあ、もしわかりましたら僕は今晩、
ズッと張自忠師長の宅に居りますからお電話いただけませんか」》


つづく
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