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7月21日 趙登禹将軍の北京入城

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/10/31 15:56 投稿番号: [621 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇   盧溝橋事件』 読売新聞社刊
293〜294p

《 七月二十一日、午前十一時過ぎである。
黒塗りのドッジブラザーが砂利の音も軽く、特務機関の玄関口に入って来た。

取次ぎに出た給仕に渡された名刺には、
第二十九軍百三十二師中将師長   趙登禹と記されてある。

車から降り立った趙登禹将軍は痩身長躯、四十がらみの年配で、
眼は一種異様の光を帯びており、慓悍 (ひょうかん) といった感じだった。

灰色の大衣をまとい、大型の扇子を持っていた。随員二人を連れていた。
機関の大応接室では、松井機関長、和知参謀、それに私と武田嘱託とが席に連なった。



「私は百三十二師の師長、趙登禹であります。このたび宋軍長の命をうけ、
部隊を北上させる事になり、近日中に北京に入城する運びとなりましたので、

本日はご挨拶のためお伺い致しました。
今後いろいろご厄介になる事と思いますが、何分よろしくお願い申し上げます」

彼の言葉は身体に似合わず低い声だった。
松井機関長がこれに応えた。



「それはわざわざご丁寧なご挨拶で痛み入ります。
お話によれば、貴下の部隊はただいま北上中との事ですが、

もともと二十九軍も日本軍とは、いわば兄弟みたいな間柄ですから、
北上される事については何等異存はありません。

ところが現在北京城内に在る馮治安の三十七師、
これは保定方面に移動させるという事に宋委員長との間に話がまとまり、

現在撤退中との知らせを受けました。
しかしご覧の通りまだすっかりは完了しておりません。

これに代るべき貴部隊の北上については、
先に委員長からも一応のご連絡はいただきましたが、

北京入城という事についてはまだ具体的のお話を取り交すまでに至っておりません。
そこでこれが決定をみるまで、いましばらく、お差し控えいただきたいと思います」



  −   会談は三十分ばかりで終った。
「承知致しました。

私は逐一宋軍長の命に従って行動する考えでおりますので、この点は一応委員長とも
相談の上、双方の交渉がまとまるまで、入城は見合せる事に致します。

なお今後、軍事に関する一切の交渉は、どうか斉燮元老先輩を通じて
ご連絡下さいますようお願い申し上げます」

ここで、私は機関長の言葉に一言補足した。
趙登禹部隊の原駐地は、河北省中部の任邸だった。

しかし事件の勃発と同時に、軍命令に基いて北上を開始、七月十五日には固安、
十八日には北寧鉄路上の黄村に達し、引き続き北京南郊の警備を担当する事となった。



特務機関としては、北京城内の治安維持だけなら、保安隊と警察隊で十分である、
と考えていたが、天津軍司令部としてはすでに宋哲元に対し

「趙登禹部隊の北京入城はこれを承認する。ただし入城に関する細部の事項は、
北京特務機関と緊密に連絡をとった上で実行するように」 との一札を与えていた。

そこで機関は、入城を許すとしても、目下の情況だったら精々一ヶ団くらいと肚を決め、
その時期については三十七師の撤退情況、その他の情勢と睨み合せた上、

改めて連絡すると云う腹案を持っていた。》


つづく
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