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7月21日 八宝山部隊撤退せず

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/10/29 18:43 投稿番号: [619 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇   盧溝橋事件』 読売新聞社刊
277〜279p

《 七月二十一日、三十七師が撤退を開始すべき日がやって来た。
中島、笠井両顧問は、約束通り早朝八時、航空署街の秦徳純邸に向った。

そこにはすでに、二十九軍参謀長の張越亭、保安隊第一旅長の程希賢、
交通副処長周永業、それに軍参謀の周思靖などが来合せていた。

一同は秦徳純を囲んで、撤退に関する細部を打合せたうえ、中島顧問と笠井顧問、
周参謀と周副処長、それに程希賢旅長を加えた一行は、ドヤドヤ自動車に乗り込んだ。

軍事顧問部の斉藤、広瀬両秘書や、朝日新聞の常安特派員等がこれと同行する事になった。



秦徳純は門のところで笠井顧問を呼び止めて

「今日の撤退は宋委員長の自発的意志に基き、松井機関長、今井武官、
和知参謀とも協議の上、いよいよ実行に移す事になったわけです。

どうかこれがスムーズに完了するよう、ひとえに顧問のお骨折りをお願いします」
とくれぐれも頼んだ。



午前八時半、秦徳純邸を出発した一行は、阜城門を出て八里庄、
半壁店を過ぎ、午前九時、田村に到着した。

今日の撤退部隊、第百十旅長何基レイ少将がここに一行を出迎えた。
そして旅長も一緒にさらに進んで、黄村、楊家村に達したが、

この付近は道路がひどいぬかるみのため、
とうとう車を乗り捨てて歩かなければならなかった

そのため、予想以上に時間を食い、目的地の衙門口 (ヤーメンコー) に
到着したのは、十一時半を回っていた。


部落の入り口で小憩した後、何旅長の案内で部落東南端の第一線陣地を視察したが、
守備についている兵一人一人について訊問した結果、

それがことごとく冀北辺区保安隊である事が確認された。
この兵力は、程旅長の話によると四百名だとの事である。

しかし実際はもう少し多いのではないかと思われた。

何基レイの部隊約一ヶ大隊は、午後一時すぎ、磨石口に向って撤退を開始したので、
顧問達は確実にこれを見届けた後、互に打ちくつろいで昼食にとりかかった。



ところがこの休憩中、部隊の撤退をめぐって一悶着が持ち上った。
中島顧問が何気なく 「衙門口はこれでよしと、次は八宝山の部隊点検だが、

経路はどの道を通って行きますかな」 すると何旅長
「衙門口の部隊は撤退命令をうけたから、今こうして引き揚げさせたのですが、

八宝山の部隊は何にも命令は受けていませんよ。
だからこれは撤退させるわけには参りません」 と突ッぱねて来た。

「こりゃおかしい。私は宋委員長から、八宝山も盧溝橋も、三十七師に対しては
全部撤退命令を下すというふうに聞いてきたのだが、

話がこうチグハグじゃ、てんで問題にならんじゃないか。
ところで盧溝橋の西岸にいる、吉星文の二百十九団、

あれはやっぱり、あなたの部下なんでしょう。
移動させるのですか、させないんですか?」



「あれは隷属系統は確かに私の部下に間違いありません。
しかし今は馮師長の直轄指揮に入っているんです。

だから宋軍長または馮師長の命令がない限り、私がこれを動かす事は出来ません」

「しかし考えてもご覧なさい。   衙門口のタッタ一ヶ大隊だけを撤退させるために、
こんなに大勢で物々しく視察に来るなんて、馬鹿馬鹿しくて話にならん。

ことに宋委員長の命令は、斉燮元さんが直き直き特務機関に伝え、
また機関長も宋委員長に会って、双方完全に了解が出来ていたんですぞ。

それでも旅長は動かさんといわれるのですか?」
「北京における協定がいかなるものであれ、直接私に命令が来ない限り、

独断で撤退させる事は断じて出来ませぬ。
貴官に対してはまことにお気の毒ですが何分共にあしからず」》


つづく
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