7月17日 日本と中国の動き
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/10/18 18:41 投稿番号: [608 / 2250]
児島襄著 『日中戦争4』 文春文庫
19〜21p
《 翌日、七月十七日午前十一時からの五相会議では、はたして外相、海相、
蔵相から異論がでたが、最終的には以上の陸軍の方針が承認され、
ついでに、南京においても
「七月十九日」
を期限とする交渉をすることになった。
訓電をうけた支邦駐屯軍では、むろん、中国側との折衝を開始したが、
参謀長橋本少将は、首をかしげた。
「こちらでは、戦さをせんでも済むという考えで、
非常に友好的な気分をもって片端から交渉が進み……
向こうが相当譲歩してきている最中だから、十九日までという
期限をつけて要求するということは、甚だ不自然だった」
宋哲元も、困却した。
この日、宋哲元は、前日に官邸で死去した前支那駐屯軍司令官田代皖一郎中将の
霊前に香をたき、弔花をささげた。
中将は、重症のために日本内地にはこぶこともできず、官邸で息をひきとったのである。
宋哲元は、中将夫人雪江にも深く頭をたれて辞去したが、
帰邸すると、廬山、南京、北京からの電報が待っていた。
廬山からの蒋介石の急電は、かつて 「上海事変」 のさい、
日本側は 「和解条約」 を結んでから攻撃した、
この 「実際之経験」 に照合して、「勿受其欺」(だまされるな) と強調していた。
南京電の発信者は、軍政部長何応欽である。
軍政部長何応欽も、日本はすでに 「第五、第六、第十、第十二、第十六等
五個師団及朝鮮之第二十師団」 を動員または出動させている、
日本郵船、大阪商船、山下汽船、三井船舶などから 「三十余艘」 の輸送船も
徴用している、と述べ、蒋介石同様に 「上海事変」 を教訓にして
「軍事準備」 をいそぐよう、要求してきた。
北京発の電報は、市長秦徳鈍からのものであった。
その日、朝、第二十九軍軍事顧問中島弟四郎中佐が訪ね、事態解決のため、
十一日の合意の実行の前に次の四項をおこなうことを要求した、という。
①第二十九軍にたいし、対日無抵抗を命令する。
②北京市の戒厳を緩和する。
③逮捕した日本人を釈放する。
④北寧鉄道交通の正常化をはかる。
宋哲元は、眼をむいた。
十一日の合意は三項目、支那駐屯軍が示してきたのは、はじめに七項目、
次に四項目、そして、いま北京から新たに四項目……。
相互に関連しているものもあるにせよ、延べ
「十八項目」の要求である。
どれが「真実要求」なのか……。
宋哲元は、和平を決意した。
友誼をかさねてきた故田代皖一郎中将の霊前にゆらぐ香煙につつまれたのが、
その決意をさそう動力になった、という。》
つづく
これは メッセージ 607 (kireigotowadame さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552022058/ffea4ca4fcf9qbfma4kfn5febbv7obfbfaj5doc0a47a4dea47a4ga4a6_1/608.html