入って中国人に南京事件真相議論しましょう

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共産党の策動4 コミンテルンの指令

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/06/13 15:18 投稿番号: [475 / 2250]
K・カール・カワカミ著 『シナ大陸の真相   1931〜1938』(原題 Japan in China )
訳者   福井雄三    展転社   60〜62p


《一九三六年五月一六日、リャザノフスキーという名のコミンテルン天津代表が、
コミンテルン上海本部の出した次の指令を実行するために北京へ赴いた。


「一、天津のヤチェイカ (共産党細胞) は、共産主義者を通じて
   北京〜天津地域の学生たちの間に、

   日本軍の北支守備隊の増加と日本の密輸活動に関する暴露運動を行い、
   反日感情をかき立てなければならない。

二、夏休みの間に学生たちを動員して農村へ行かせ、農民たちの間に
   反日感情を広めるために講義を行わせること。

三、反日運動とボイコットを同時に行うこと。
   ボイコットを実施するためには密輸問題を取り上げて、

   北支で出回っている日本製品は全て密輸品であると言わねばならない。
   こうすれば、日本製品に対する反感が広範囲にわたって引き起こされるだろう。

   同時に、日本製品を買う者に対して南京政府は罰則を用意している、
   という声明を出すことによって、日本製品の購入を阻止するよう努めること」


一九三六年三月、陝西省の省都の西安で蒋介石が張学良と揚虎城によって
捕らえられ投獄されると言う悲喜劇のニュースが世界を襲った。

ここで今一度思い起こしていただきたいのであるが、蒋介石を捕らえた側の
一人である張学良は、かつて反日的な満洲の支配者であった。

彼は満洲の日本企業を破壊しようと計画したために日本の激怒をかって、
一九三一年満洲から追放される羽目になってしまった。

その後彼はパリへ行ってそこで二年間歓楽の生活を送り、
かつて彼が支配していた人々から略奪した数百万ドルのお金を浪費した。

一九三四年、この放蕩息子は上海へ戻ってきた。


それから間もなく蒋介石総統は張学良を 「平定委員」 に任命した。
その任務は河南省と山西省の共産主義者を征服することであった。

日本が特殊権益を持っていた北支に向かって着実に進撃しつつあった
共産党軍を 「平定」 する任務に、

蒋介石がこの日本嫌いの男を選んだのは単なる偶然の一致であったのか?
あるいはまたそれは慎重に考え抜かれた上での計画であったのか?

この日本嫌いのかつての満洲支配者が 「平定司令官」 に任命されるや否や、
彼は共産主義者と接触し始め、彼らの真の敵は蒋介石ではなく日本なのだと説いて回った。

共産主義者と戦おうとしないで、張学良は彼らを日本と対抗するための
自分の野望の道具にしようとしたのである。


彼は何とかして日本に恨みを晴らそうと固く決心していた。
実際、張学良はヨーロッパ滞在中にモスクワと接触を持っていたことが分かっている。

中国へ帰国後、彼が中国にいるソ連の工作員と親密な関係にあったことは間違いない。
南京の蒋介石総統はこれを全て知っていたにもかかわらず、張学良をそのポストに任命した。

そしてそのことは張学良を中国人の共産主義者たちと直接接触させることになったのである。
彼らは自分たちの共産主義をカモフラージュする目的で、「日本打倒」 と

「 日本に対する戦争」 を自分たちのスローガンにしていた。


つづく
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