西安事件1 張学良 共産党と接触
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/06/07 18:38 投稿番号: [466 / 2250]
蒋介石は日本が戦争する意思はない事を知って安心して、共産党退治に乗り出しました。
内側に叛乱分子を抱えていては対日戦争などできないからです。
そこで、張学良を西北剿匪副総司令に任命し、西安へ共産党討伐に行かせますが、
張学良はこれに不満でした。
彼の望みは、対日戦争でしたから。
児島襄著 『日中戦争3』 文春文庫
244p
《 西安には、もともと西安綏靖公署主任・第十七路軍総指揮楊虎城が位置していた。
楊虎城は、馮玉祥系の軍閥将領で、その第十七路軍約五万人も、
いわば楊虎城があつめた部隊であり、「陝 (せん) 軍」 の通称で呼ばれていた。
ただし、軍隊としては装備、素質ともに劣悪で、土匪なみの集団であった。
それだけに、楊虎城としては、勢力範囲とその中での 「静かな搾取生活」 を
楽しむのが望みであり、共産軍との戦いも中央軍の進出も好まなかった。
現に、楊虎城は共産軍 「紅第四方面軍」 と〝相互不可侵協定〟を
むすんでおり、蒋介石の剿匪作戦についても批判的であった。》
246〜247p
《 張学良は、「剿匪がいやになった」と楊虎城にもらし、
一九三六年をむかえると、共産党側との接触を開始した。
・・・・
四月四日、第六十七軍長王以哲を通じて、共産党連絡局長李克農と
洛川の第六十七軍司令部で会見した。
張学良は、より以上の幹部、たとえば周恩来との会談を希望し、
李克農はただちに連絡して、周恩来が会談に応ずる旨を返事した。
張学良は、延安での会談を指定し、同市に駐屯する第六十七軍
第一二九師 (周福成) に安全を保障するよう、指示した。
四月九日深夜、延安市東方的五キロの天主堂で張・周会談がおこなわれた。
・・・・
共産党側にも、張学良の接近を喜ぶ 「内部事情」 があった。
共産党軍は、当時、ほぼ第一、第二、第四方面軍にわかれて、甘粛省北部での合流を
めざしていたが、総兵力は 「長征」 を開始した当時の三分の一以下、約七万人にすぎない。
しかも、中央軍の追尾をうけているだけでなく、
山西の閻錫山軍も動いて、側背をおびやかされている。
もし、中央軍側の総攻撃が開始されれば、
全滅しないまでも組織的戦力を破砕されるのは必至であろう。
その非命を回避し、叫んでいる 「抗日」 戦の第一線にたつには、
「停止剿共」 を国民政府側にもとめる以外に方法はない……。》
つづく
これは メッセージ 465 (kireigotowadame さん)への返信です.
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