上陸部隊にコレラ発生
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2009/06/04 18:46 投稿番号: [41 / 2250]
陸軍上陸部隊は大量の敵になやまされていましたが、もう一つ別の敵がいました。
それはコレラです。
以下は『将軍の真実 南京事件 松井石根人物伝』より
不運はもう一つ重なった。
それは食糧不足の第11師団の20名がコレラにかかったとのしらせである。( 59p )
9月10日の日、コレラの原因が、クリークの水を飲んだためと判明。
コレラ患者は青島から2日に呉淞錨地に到着した天谷支隊に多い。
患者数は百名で、死者30名を出した。
松井は軍医部長に患者の感染地を消毒させる。( 62〜63p )
10日午後、日高信六郎南京大使館の参事官が司令部のある水産学校を訪れ、松井と会談した。
松井は日高に 「 何とか水を運んできてほしい 」 と頼む。水不足は予想外のことだった。
それに、コレラ保菌者も多く、このままでは戦意にかかわる。その後もコレラ患者は増え、
第三師団でも十二日の時点で、三十名の患者を出し、うち四名が死亡していた。
コレラ患者はその後も増えつづけ、二十日、藤田部隊片山支隊にも発生する。
二十一日には患者数三百余名、死亡者九十名に及ぶ。しかし、病院が不足して患者の隔離に苦悩した。
給水船を操って飲料水を運んだのは、上海の岡田酉次ら武官府だった。
岡田は『日中戦争裏方記』の中で、当時の給水船とコレラ患者のようすを、こう記している。
「八月二十五日ごろには、無数の日本軍輸送船が呉淞沖に到着していたが、
敵の妨害で砲弾の補給準備にもこと欠き、ましてや一般軍需の揚陸などは見込みさえ立て得ない。
そのうえやっと岸辺に取りついた部隊からは、不幸にも伝染病患者まで発生し、
惨状見るに忍びざる苦戦を繰り返した。
そこで、せっかく、武官府であらかじめ準備した軍需品 ( 医薬品を含む ) を、
黄浦江を下って揚子江本流への出口にあたる呉淞鎮付近までいかに補給するかが、
武官府に課せられた声なき至上命令となった。
さいわい暗夜を利用して敵の抑留から引き出してきた数隻の小艇に、鉄板で防弾装置をほどこし、
敵弾雨下の中を運航してやっと上陸し、水際に平伏している兵隊から歓呼して迎えられたのである 」
水上補給に使用した艇は、三井物産上海支店所属の 「 梅丸 」 が主力で、
三井物産上海支店の梶山幹六 ( のちに宇徳運輸社長 ) の決死行動で、
何度も上海と上陸地点との間を往復している。
江岸水際にて上陸兵と共に夜を徹したことも少なくなかった。
上陸部隊がやっと大場鎮に達したころ、部隊の中からコレラ患者が多発しだした。
当時なお上陸部隊では、これが治療薬剤にもこと欠き、
いたずらに患者を敷ワラの上に横臥せしめるのみで、ほどこすすべも持たない有様であった。
また、重傷患者の手術をしようにも、消毒薬や麻酔薬が揚陸できない窮状で、
部隊付軍医による医薬品の現地入手が、人道問題とまで考えられてきた。
( 63〜64p )
それはコレラです。
以下は『将軍の真実 南京事件 松井石根人物伝』より
不運はもう一つ重なった。
それは食糧不足の第11師団の20名がコレラにかかったとのしらせである。( 59p )
9月10日の日、コレラの原因が、クリークの水を飲んだためと判明。
コレラ患者は青島から2日に呉淞錨地に到着した天谷支隊に多い。
患者数は百名で、死者30名を出した。
松井は軍医部長に患者の感染地を消毒させる。( 62〜63p )
10日午後、日高信六郎南京大使館の参事官が司令部のある水産学校を訪れ、松井と会談した。
松井は日高に 「 何とか水を運んできてほしい 」 と頼む。水不足は予想外のことだった。
それに、コレラ保菌者も多く、このままでは戦意にかかわる。その後もコレラ患者は増え、
第三師団でも十二日の時点で、三十名の患者を出し、うち四名が死亡していた。
コレラ患者はその後も増えつづけ、二十日、藤田部隊片山支隊にも発生する。
二十一日には患者数三百余名、死亡者九十名に及ぶ。しかし、病院が不足して患者の隔離に苦悩した。
給水船を操って飲料水を運んだのは、上海の岡田酉次ら武官府だった。
岡田は『日中戦争裏方記』の中で、当時の給水船とコレラ患者のようすを、こう記している。
「八月二十五日ごろには、無数の日本軍輸送船が呉淞沖に到着していたが、
敵の妨害で砲弾の補給準備にもこと欠き、ましてや一般軍需の揚陸などは見込みさえ立て得ない。
そのうえやっと岸辺に取りついた部隊からは、不幸にも伝染病患者まで発生し、
惨状見るに忍びざる苦戦を繰り返した。
そこで、せっかく、武官府であらかじめ準備した軍需品 ( 医薬品を含む ) を、
黄浦江を下って揚子江本流への出口にあたる呉淞鎮付近までいかに補給するかが、
武官府に課せられた声なき至上命令となった。
さいわい暗夜を利用して敵の抑留から引き出してきた数隻の小艇に、鉄板で防弾装置をほどこし、
敵弾雨下の中を運航してやっと上陸し、水際に平伏している兵隊から歓呼して迎えられたのである 」
水上補給に使用した艇は、三井物産上海支店所属の 「 梅丸 」 が主力で、
三井物産上海支店の梶山幹六 ( のちに宇徳運輸社長 ) の決死行動で、
何度も上海と上陸地点との間を往復している。
江岸水際にて上陸兵と共に夜を徹したことも少なくなかった。
上陸部隊がやっと大場鎮に達したころ、部隊の中からコレラ患者が多発しだした。
当時なお上陸部隊では、これが治療薬剤にもこと欠き、
いたずらに患者を敷ワラの上に横臥せしめるのみで、ほどこすすべも持たない有様であった。
また、重傷患者の手術をしようにも、消毒薬や麻酔薬が揚陸できない窮状で、
部隊付軍医による医薬品の現地入手が、人道問題とまで考えられてきた。
( 63〜64p )
これは メッセージ 40 (kireigotowadame さん)への返信です.