柳条溝事件は関東軍の仕業か?2
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/04/16 18:38 投稿番号: [409 / 2250]
東京裁判で岡本弁護人は次のように弁論しています。
田中正明著 『東京裁判とは何か』 大手町ブックス 日本工業新聞社発行
154p
《岡本弁護人はさらに②の奉天事件の真相にふれ、一九三一年九月十八日に起きた
いわゆる柳条溝爆破事件は、検察側証人のいうがごとく、関東軍が仕掛けた事件ではなく、
支那軍の挑戦であり、現地軍が居留民および守備隊の危険に鑑み、
自衛のため起ちあがったものである、と述べた。
この夜 (九月十八日) 関東軍首脳は、新任の本庄軍司令官の第一回の
巡視を遼陽で終えて、旅順に帰っていた。
奉天には、東京から特派された建川中将を迎えるため、
高級参謀板垣大佐が一人派遣されていただけである。
石原作戦参謀ほか幹部全員が、旅順の宿舎で、しかも就寝時、(午後十一時)
奉天事件の第一報をきいたのである。つまり関東軍首脳の不在中に起きた事件である。
夜半軍司令官を囲み、協議した結果、本庄軍司令官は「本官の責任において、
やりましょう」の断をくだし、一同軍装をととのえて、急いで奉天に帰ったのである。
奉天に到着したのは、その翌日、すなわち十九日未明であった。この事実に照らしても、
巷間噂されるように、関東軍の陰謀ならざることは、明々白々である。》
* 字数の都合で1 では、石原莞爾の言い分を論評出来ませんでしたので、ここでします。
彼は、張学良軍が必ず仕掛けてくるだろうから、それに備えた対策を想定して、
18日に飛行場攻撃の演習を命じて出かけました。しかし、演習は中止されました。
ところが、その日の夜、柳条溝で線路が爆破されたため、
慌てて奉天に戻ったという事です。
その後は、石原莞爾の建てたプランに沿って物事は進んで行ったのでしょう。
もちろん、この石原証言に対して、
「どうせ命惜しさの言い逃れだろう」という非難もあるでしょう。
しかしながら、彼は、ノースクロフト裁判長代行に対して
「自分にはどうしても理解できないことがある。満州事変にしても、
錦州事件にしても、 その中心は、すべて自分であると思っている。
満州事変の立案も、自分が作成したものであります。しかるに、
自分が戦犯の被告にされないのはどうしたことか、理解に苦しむ」
と言ってるわけです。
「何で、俺を戦犯として呼ばない!」と言ってる者が、
命惜しさの言い逃れをするでしょうか。
ここより、満洲事変のきっかけとなった柳条溝爆破は関東軍以外の者の
仕業という可能性も出てきます。
* 次に、満洲国建国ですが、これには満蒙独立運動という別の要素があります。
戦後の日本の歴史教育では、この「満蒙独立運動」が消されている為、
殆どの人は満洲国建国を単純に日本の侵略と思っています。
そこで、これについて紹介します。
田中正明著 『東京裁判とは何か』 大手町ブックス 日本工業新聞社発行
154p
《岡本弁護人はさらに②の奉天事件の真相にふれ、一九三一年九月十八日に起きた
いわゆる柳条溝爆破事件は、検察側証人のいうがごとく、関東軍が仕掛けた事件ではなく、
支那軍の挑戦であり、現地軍が居留民および守備隊の危険に鑑み、
自衛のため起ちあがったものである、と述べた。
この夜 (九月十八日) 関東軍首脳は、新任の本庄軍司令官の第一回の
巡視を遼陽で終えて、旅順に帰っていた。
奉天には、東京から特派された建川中将を迎えるため、
高級参謀板垣大佐が一人派遣されていただけである。
石原作戦参謀ほか幹部全員が、旅順の宿舎で、しかも就寝時、(午後十一時)
奉天事件の第一報をきいたのである。つまり関東軍首脳の不在中に起きた事件である。
夜半軍司令官を囲み、協議した結果、本庄軍司令官は「本官の責任において、
やりましょう」の断をくだし、一同軍装をととのえて、急いで奉天に帰ったのである。
奉天に到着したのは、その翌日、すなわち十九日未明であった。この事実に照らしても、
巷間噂されるように、関東軍の陰謀ならざることは、明々白々である。》
* 字数の都合で1 では、石原莞爾の言い分を論評出来ませんでしたので、ここでします。
彼は、張学良軍が必ず仕掛けてくるだろうから、それに備えた対策を想定して、
18日に飛行場攻撃の演習を命じて出かけました。しかし、演習は中止されました。
ところが、その日の夜、柳条溝で線路が爆破されたため、
慌てて奉天に戻ったという事です。
その後は、石原莞爾の建てたプランに沿って物事は進んで行ったのでしょう。
もちろん、この石原証言に対して、
「どうせ命惜しさの言い逃れだろう」という非難もあるでしょう。
しかしながら、彼は、ノースクロフト裁判長代行に対して
「自分にはどうしても理解できないことがある。満州事変にしても、
錦州事件にしても、 その中心は、すべて自分であると思っている。
満州事変の立案も、自分が作成したものであります。しかるに、
自分が戦犯の被告にされないのはどうしたことか、理解に苦しむ」
と言ってるわけです。
「何で、俺を戦犯として呼ばない!」と言ってる者が、
命惜しさの言い逃れをするでしょうか。
ここより、満洲事変のきっかけとなった柳条溝爆破は関東軍以外の者の
仕業という可能性も出てきます。
* 次に、満洲国建国ですが、これには満蒙独立運動という別の要素があります。
戦後の日本の歴史教育では、この「満蒙独立運動」が消されている為、
殆どの人は満洲国建国を単純に日本の侵略と思っています。
そこで、これについて紹介します。
これは メッセージ 407 (kireigotowadame さん)への返信です.