国共内戦における中国の暴虐1
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/04/04 16:32 投稿番号: [394 / 2250]
中国では国民党軍や他の軍閥・そして民衆が、略奪や暴虐の限りを
尽くしましたが共産党もまた同じでした。
児島襄著 『日中戦争2』 文春文庫
28〜29p
《「共産土賊軍」 は、実際には、一九二七年いらい湖南・江西省境の井岡山で
毛沢東ら共産党指導者が育成していた 「工農紅軍」 の一部・・・
・・・
『東京朝日新聞』 も、大冶に進入した 「紅軍」 を 「土賊軍」 の俗称で呼び、
その状態を次のように報道している。
「(六月) 十三日午後七時四十分、赤地に黄のギザギザを施した例の旗を
立てた土賊軍の一部が、大冶に入った。
彼ら土賊軍は十二日朝、大冶県城を占領すると同時に、お手のものの大掠奪を試み、
監獄を破壊して囚人を解放する等、遺憾なく暴れまわった。
すでにこの報道を得ていたので、土賊軍が大冶に迫ったころには、
内外人は全部避難してガラ空きになっていた。
無産階級の擁護を宣伝しつつ、鉄鉱並に石炭会社に各二十万元、
セメント会社にも二十万元を要求している。
邦人住宅は無事なるも、支那民家の掠奪され人質となったものも多い……」
兵力はわずかに約二千人、また 「土賊軍」 の呼称をあたえられるほどに
装備もおとっているが、ともかくも 「紅軍」 は、すでにその接近だけで一都市を
ガラ空きにさせるほどの 「威勢」(?) を具備していたことが、うかがえる。
33 p
いわゆる 「共匪軍」、正確には 「紅軍第三軍団」(彭徳懐) は、いつしか
大冶をはなれて南下し、長沙をめざしていた。
長沙は、既述したように、広西軍がひきあげたあと、中央軍も撤退して
ほぼ 「ガラ空き」 になっていた。
36 p
七月二十五日、「共匪軍」 は長沙東北方約四十二キロに接近した。
長沙には、百十五人の日本人居留民がいる。
領事糟谷廉二は、その夜、在留邦人にたいして警戒と避難準備を指示しておき、
翌日、七月二十六日、主席何鍵を訪ねて情報をもとめた。
37 p
長沙市内には、「赤から逃げてきた」 と称して、大荷物をかついだ難民が
しきりに流入していた。
実際には、この難民の多くは 「紅軍」 便衣隊であり、その荷物の中には
武器もひそませていて、いずれもかねて指示されたアジトに潜伏、
あるいは武器をかくして待機した。》
つづく
これは メッセージ 393 (kireigotowadame さん)への返信です.
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