済南事件6 佐々木中佐の遭難1
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/04/01 18:36 投稿番号: [391 / 2250]
日本側の軍使による停戦伝達は失敗しましたので、
今度は佐々木中佐が行く事にしました。
児島襄著 『日中戦争1』 文春文庫
184〜185p
《同じころ、城内から停戦勧告をこころみようと出かけた南京駐在武官佐々木中佐も、
同様の危急を体験した。
中佐は、国民革命軍総司令部の中国人少佐とともに、「済南特機」(済南特務機関)
と貼紙した乗用車で、城内から普利門外の商阜地にはいった。
日本軍、すなわち東地区担任の天津歩兵隊三個中隊は、
既述したように一応の戦闘を終え、重点警備地域に結集しているので、
中佐の車は、しばらくは中国人の 「人海」 をすすまねばならない。
中佐は、そこで、日本軍第一線に到達したさいの用意の小型日章旗を 「尻の下にかくし」
ていたが、普利門西方約三百メートルの中国軍陣地前で停車させられた。
「不要緊」(構わぬ)
同行した中国人少佐が運転手を激励して発進を命じたが、とたんに数人の中国兵が
自動車にとびつき、運転手につづいて中佐と少佐をひきずりだした。
日章旗を目にした兵が叫声をあげると、わらわらと中国兵が押しかけ、
その騒ぎに気づいてわやわやと中国人市民も集まった。
中国兵も中国人市民も、のしかかるように中佐にせまり、頭、顔、身体をなぐり、
腕をねじあげては、またなぐった。
「驚きにたえぬことには、もみ合う間に、予の身辺に密着してはポケットをさぐり、
時計、財布、手帳、ハンカチ等すべての所持品を奪ったことである」
あとで気づくと、上着、ズボンのポケットは全部切り裂かれていて、
中佐は、さすが、と〝中国式掠奪法〟のす早さと巧みさに感嘆した。
が、そのような事情に気づくのも後日のことである。
中佐は、必死に体当りで抵抗したが、文字どおりに 「衆寡敵せず」
の形になり、腕をしばられて身動きができなくなった。
一人の中国兵が近づき、拳銃を中佐の肩胛骨 (けんこうこつ) にあて、
左手で中佐をひざまずかせようとした。
まわりは群集である。射弾が仲間にあたらぬよう、中佐をひざまずかせ、
肩に垂直に射撃して中佐を殺す意図が、察知される。》
つづく
これは メッセージ 390 (kireigotowadame さん)への返信です.
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