入って中国人に南京事件真相議論しましょう

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済南事件1 北軍の虐殺と掠奪

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/03/27 16:09 投稿番号: [386 / 2250]
1928年 (昭和3年) 、蒋介石が第二次北伐を開始すると、
日本は南京事件の教訓から、居留民保護の為、山東出兵を決めました。

国民党軍が来るまえ、済南には北軍 (孫伝芳軍と張宗昌軍) がいました。


児島襄著 『日中戦争1』 文春文庫

155〜156p
《四月十三日、済南 ― 徐州のほぼ中間のエン州で、
米人宣教師W・セイモアが射殺された。

エン州は、孫伝芳軍のうち、李宝章が指揮する第三軍の守備地域であったが、
その日、李宝章軍の撤退のために駅は混雑していた。

宣教師セイモアは、夫人とともに李軍の将校に訊問されたが、
乗車を許可されたので荷物をとりにもどりかけたとき、背後から拳銃で射撃された。

射撃した将校が財布と鞄をうばったあと、市民多数が夫妻の死体にむらがり、
文字どおりに身ぐるみはぐ掠奪をおこなった、という。

ニュースは済南にもつたわり、日本人居留民の不安をさそった。


四月十六日、済南駐在武官酒井隆少佐の急電が参謀本部にとどいた。

「意見具申。帝国ハ 出兵ヲ決心スベキ 時期ニ到著 (ちゃく) セリト認ム」
・・・

同時に、青島総領事藤田栄介、済南総領事代理西田畊 (こう) 一からも、
同趣旨の出兵要請電が外務省に到着した。》


しかし、日本には、出兵を好まず、穏便に済ませたいと思う人もいました。

156p
《参謀総長鈴木荘六大将は、しかし、出兵を不要と考える部内の意見にもとづき、
政府が決定するならやむを得ない、との趣旨を陸相白川義則大将につたえた。

だが、翌日、四月十七日の閣議では、ほとんどの閣僚が積極的に出兵に賛成した。》

159p
《第二次山東出兵には、予想以上に野党のほか関西財界の反対が強かった。
出兵は中国の排日気運と国民党政府の反日感を刺戟 (しげき) するので、

北伐が成功して国民党が天下をとったときは、
対中国貿易の面で手痛い報復をまねきかねない − との思惑による。》


しかして、北軍が敗走するに及び、略奪が始まった。

162p
《   国民革命軍第一集団軍のうち、陳調元指揮の第二軍団は頭目劉黒七の
土匪軍約五千とともに済南東方の郭店にせまり、

張、孫軍の敗兵がしきりに退却途中に市内を〝物色〟しはじめた》

163p
《日本軍が位置する外では、夜陰を利用して暴民、窮民が掠奪をはじめ、
駅構内に山積していた張宗昌軍の小麦粉が、まずその対象となった。

数百人の窮民が、巡警の発砲にもひるまずに突進し、約四千袋の小麦粉をわずか
「三分間足らず」 できれいに奪取していった。

その間に窮民たちは一言も唱えず、一声も叫ばず、
立ち去ったあとには一握りの粉もこぼしていなかった、といわれる。

済南市内の中国人窮民は数万人を数える。もし彼らがいっせいに動きだしたら……。
「まるで蝗群におそわれるにひとしいにちがいない」

小麦粉掠奪の手ぎわが水ぎわだっているだけに、無気味さの度合いも強まり、
斎藤少将は身震いしながら、憂慮した。》


つづく

註:   「到著」 は 「到着」 の古い字体。
    今、我々が使っている 「着」 は 「著」 の俗字で元は「著」 だった。
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