入って中国人に南京事件真相議論しましょう

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ラーベの日記 1月14日 (13日の記述)

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2009/12/30 16:25 投稿番号: [297 / 2250]
一九三八年一月十四日、南京にて (次の手紙を) 受け取る。
  ジーメンス中国本社からの手紙一九三八年一月三日   於上海

   ラーベ様!
まずは新年おめでとう。激動の日々を過ごされ、大変な経験をなさったようですね。
お元気だとよいのですが。

そちらにもっと残るおつもりかどうか、あのとき連絡していただきたかったと思います。

先日カルロヴィッツ社のバウアー氏とお話ししたのですが、
氏も、これ以上南京にいてももう意味がないのでは、というご意見でした。

ですからこちらとしては、ラーベさんが時機を逸することなく、つまり陥落の前に
南京を去って漢口へ行き、大使館と連絡をとるとばかり考えていたのです。

それで三回も電報を打ったのですよ。
プロープスト氏は目下、香港です。

ラーベさんを香港に配属したらどうかと思い、問い合わせました。
返事がありしだいお知らせします。

お宅の家具調度がどういう状況かは知りませんが、
荷物の梱包を早いうちに済ませてあればいいと思っています。

もしまだでしたら、大使館に置かせてもらうことはできないでしょうか。
上海へくる件については、そう簡単ではないにしても、いずれ打つ手はあるでしょう。

できることならすぐにお返事をいただきたいと思います。     敬具
                      W・マイアー



ラーベの返書   一九三八年一月十四日   於南京
  W・マイアー社長の一九三八年一月三日付の書状に関して

ドイツ大使館を通じてお手紙いただきました。
昨年、漢口へ行くようにとのご連絡をいただきましたが間にあいませんでした。

電報が届いたとき、ドイツ人たちはすでにクトゥー号で発ったあとだったのです。

また韓さん一家をはじめ、中国人従業員はみなオフィスに避難しておりましたので、
彼らを見捨てることはできないと考えておりました。

あのときお返事しましたように、私は安全区を設置するために当地で発足した
国際委員会の代表を引き受けました。

現在ここは二十万人もの中国人非戦闘員の最後の避難場所になっています。
これを組織するのは必ずしも容易な仕事ではありませんでした。

しかも日本から全面的には承認を得られず、中国軍上層部が、ぎりぎりまで、つまり
南京から逃げ出すまで部下と共にここに駐留していたために、いっそう困難になりました。


今まで、給食所や食糧の配給所などを設置して、
安全区にひしめいている二十万人の市民をどうにか養ってこられました。

ところが今度、「難民の保護は新しく設立された自治委員会が引き継ぐ。
よって米販売所を閉鎖すべし」 との命令が日本軍から出されたのです。

市内に秩序が回復し、南京を出る許可が下りましたらそちらに参ります。
今までのところ、申請はすべて却下されています。

安全区委員会の解散まで私が当地にとどまることをお許し下さいますよう、
遅ればせながらお願い申し上げます。

というのも、わずかとはいえ、我々外国人の存在が大ぜいの人々の禍福を左右するからです。
十二月十二日以来、私の家と庭だけでも六百人以上の極貧の難民たちがおります。

たいていは庭の藁小屋に住んでおり、毎日支給される米を食べて生きています。
  ナチ式敬礼をもって                  ジョン・ラーベ



*   ラーベに会社から、南京から引き揚げて来いという指令が来たようです。
   彼は、会社の職員として南京に駐在していた事を忘れているかのようです。
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