中国が和平拒否の場合の対案
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2009/11/14 15:58 投稿番号: [244 / 2250]
事変対処要綱の策定
戦史叢書 『支那事変 陸軍作戦1』 467〜468p
参謀本部第二課戦争指導班では、十二月一日、現国民政府との直接交渉により
事変を解決する方策として 「支那事変解決処理方針」 を策定していたが、
・・・
中国側が条件を受諾せぬ場合の考案を同時に取り扱う必要に迫られたので、
十二月六日、大臣随員を加え、大本営陸軍部案とするよう
「事変対処要綱」 案を合同起案した。その方針は次のとおりである。
一 対現中央政府解決ノ場合
(一) 現戦果ヲ 拡張強化シツツ 速ニ 現中央政権ト 日支全般問題ヲ
一括解決スルコトニ 諸般ノ措置ヲ統合ス
(二) 比間 爾後 持久戦争ニ移行ノ為ニ 必要ナル考慮ト 準備措置ノ実行トヲ
併セ行フ 但シ 之カ為 方針第一項ノ 達成ヲ阻害スル コトナシ
(三) 持久戦争移行 ノ為ノ決意ノ時機ハ 方針第一項ノ 目的ヲ達成スルコト
能ハサル実情ヲ 確認シタルトキ 又ハ 現中央政権カ 実力上一方地方
政権タルニ 至リタル時トシ 其 (その) 時機ハ 南京攻略前後トス
二 現中央政権否認ノ場合
(一) 従来ノ支那中央政権ヲ否認シ 北支ニ 親日満防共ノ政権ヲ樹立シ
之ヲ 更正新支那ノ 中心勢力タラシムル 如ク指導シ之ト連繋シテ
各方面共親日(又ハ非抗日)反共政権ヲ樹立シ 支那全局面ニ於テ
抗日共産政権ニ対スル 圧縮壊滅ヲ策ス
(二) 所要地域ニ於テ 我兵力ヲ以テスル 軍事的占拠 其地域内ニ於ケル
画期的善政指導 及 新樹立政権ノ勢力拡大等ニ依リ 之ニ伴フ領土喪失感ト
抗日共産領域内住民ノ 困窮トニ依リ対抗政権 及 某所属民衆ヲシテ
抗日容共ノ非ヲ 悟ラシメ 時ト共ニ依日救国ノ大勢ニ 順応スルニ至ラシム
(三) 成ルヘク速ニ 全支ノ自然的統一状態ヲ誘致シ 無期分裂抗争ニ基ク
支那ノ赤化 又ハ 欧米勢力侵襲ノ罅隙 (カゲキ:すきま) ナカラシム
(四) 全期間ヲ通シ 我国防国策ノ主脈ヲ 依然 対蘇反共ニ置キ 其以外
数正面ニ亙ル 戦争準備ノ余儀ナキ情勢ニ 立チ至ラサル如ク 政戦両略ニ
亙リ 運用施策ス
(五) 我国家総力 就中 (なかんずく) 国防力ノ培養強化 及 統整ヲ促進スルト
共ニ支那ニ対スル我国カノ 消耗ヲ制限シ 且 対 「ソ」 作戦ノ準備ヲ強化整頓ス
右両案は時期的段階をつけるべきと思われるが、当時の空気はこれを並立して
掲げねばならぬほど切迫したものであった。
しかし、あたかもトラウトマン工作が進展してきたのに乗じ、戦争指導班としては本案
審議の遷延策をとったので、これが大本営陸軍部案となったのは十二月十五日であった。
この間に現地における作戦は進展し、十三日南京は陥落した。十四日、政府は
「南京攻撃は、中国側に日支提携の大道に返ることを求めたものである。
しかるに国民政府になんら反省の色なきにおいては、日本は親日政権との提携、
抗日政権の徹底的膺懲によって日支問題の根本的手術を決意し、それがためには
真の持久戦はこれからだという覚悟に徹すべきである」 と声明した。
もちろん、これは表向きのものであり、政府は和戦両用の構えをとっている
のであるから、今こそ真に強力な政戦略一致が望まれるときであった。
しかし、事変の終息、和平工作をぶちこわすかのように戦果の獲得、
拡充方策が着々と進められていた。
前記の政府声明発表の日に、北支に中華民国臨時政府が成立した。
戦史叢書 『支那事変 陸軍作戦1』 467〜468p
参謀本部第二課戦争指導班では、十二月一日、現国民政府との直接交渉により
事変を解決する方策として 「支那事変解決処理方針」 を策定していたが、
・・・
中国側が条件を受諾せぬ場合の考案を同時に取り扱う必要に迫られたので、
十二月六日、大臣随員を加え、大本営陸軍部案とするよう
「事変対処要綱」 案を合同起案した。その方針は次のとおりである。
一 対現中央政府解決ノ場合
(一) 現戦果ヲ 拡張強化シツツ 速ニ 現中央政権ト 日支全般問題ヲ
一括解決スルコトニ 諸般ノ措置ヲ統合ス
(二) 比間 爾後 持久戦争ニ移行ノ為ニ 必要ナル考慮ト 準備措置ノ実行トヲ
併セ行フ 但シ 之カ為 方針第一項ノ 達成ヲ阻害スル コトナシ
(三) 持久戦争移行 ノ為ノ決意ノ時機ハ 方針第一項ノ 目的ヲ達成スルコト
能ハサル実情ヲ 確認シタルトキ 又ハ 現中央政権カ 実力上一方地方
政権タルニ 至リタル時トシ 其 (その) 時機ハ 南京攻略前後トス
二 現中央政権否認ノ場合
(一) 従来ノ支那中央政権ヲ否認シ 北支ニ 親日満防共ノ政権ヲ樹立シ
之ヲ 更正新支那ノ 中心勢力タラシムル 如ク指導シ之ト連繋シテ
各方面共親日(又ハ非抗日)反共政権ヲ樹立シ 支那全局面ニ於テ
抗日共産政権ニ対スル 圧縮壊滅ヲ策ス
(二) 所要地域ニ於テ 我兵力ヲ以テスル 軍事的占拠 其地域内ニ於ケル
画期的善政指導 及 新樹立政権ノ勢力拡大等ニ依リ 之ニ伴フ領土喪失感ト
抗日共産領域内住民ノ 困窮トニ依リ対抗政権 及 某所属民衆ヲシテ
抗日容共ノ非ヲ 悟ラシメ 時ト共ニ依日救国ノ大勢ニ 順応スルニ至ラシム
(三) 成ルヘク速ニ 全支ノ自然的統一状態ヲ誘致シ 無期分裂抗争ニ基ク
支那ノ赤化 又ハ 欧米勢力侵襲ノ罅隙 (カゲキ:すきま) ナカラシム
(四) 全期間ヲ通シ 我国防国策ノ主脈ヲ 依然 対蘇反共ニ置キ 其以外
数正面ニ亙ル 戦争準備ノ余儀ナキ情勢ニ 立チ至ラサル如ク 政戦両略ニ
亙リ 運用施策ス
(五) 我国家総力 就中 (なかんずく) 国防力ノ培養強化 及 統整ヲ促進スルト
共ニ支那ニ対スル我国カノ 消耗ヲ制限シ 且 対 「ソ」 作戦ノ準備ヲ強化整頓ス
右両案は時期的段階をつけるべきと思われるが、当時の空気はこれを並立して
掲げねばならぬほど切迫したものであった。
しかし、あたかもトラウトマン工作が進展してきたのに乗じ、戦争指導班としては本案
審議の遷延策をとったので、これが大本営陸軍部案となったのは十二月十五日であった。
この間に現地における作戦は進展し、十三日南京は陥落した。十四日、政府は
「南京攻撃は、中国側に日支提携の大道に返ることを求めたものである。
しかるに国民政府になんら反省の色なきにおいては、日本は親日政権との提携、
抗日政権の徹底的膺懲によって日支問題の根本的手術を決意し、それがためには
真の持久戦はこれからだという覚悟に徹すべきである」 と声明した。
もちろん、これは表向きのものであり、政府は和戦両用の構えをとっている
のであるから、今こそ真に強力な政戦略一致が望まれるときであった。
しかし、事変の終息、和平工作をぶちこわすかのように戦果の獲得、
拡充方策が着々と進められていた。
前記の政府声明発表の日に、北支に中華民国臨時政府が成立した。
これは メッセージ 243 (kireigotowadame さん)への返信です.