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1939年11月 蒋介石との直工作を探る人

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2013/02/05 18:57 投稿番号: [2227 / 2250]
児島襄著   『日中戦争5』   文春文庫
230〜232p


《 参諜本部第二部長樋口少将は、いずれにせよ、学長スチュワートに

不信を表明し、喜多中将にも明言した。

三カ月くらい前までは、参謀本部にも蒋介石との直接和平を

考えている者がいたが、「今日はさような不心得者なし」。

汪政府樹立で事変を解決する、というのである。



   −   だが、

少将がいう   「不心得者」   は、なお潜在していた。

汪兆銘の重慶脱出工作に主要な役割りをはたした参謀本部支那課長今井武夫大佐は、

支那派遣軍の新設にともない、その参謀   (第二課長)   に転出した。



自身の希望によるもので、大佐はその理由を、

「汪工作は全面和平を目的に推進していたのだが……

突然占領地内に政府を作るといわれて目算がはずれてしまった。

そこで……新たな対重慶和平工作を決意し、

自ら総軍   (支那派遣軍)   に転出することを願い出た」

と、述べている。



明らかに   「国策」   とは背離する意向だが、

同様の考え方は、戦争指導班員秩父宮雍仁中佐をふくむ参謀本部、

陸軍省の中佐クラスの有志たちの間でも発生し、

その一人、中国在勤の経験をもつ参謀本部支那班長鈴木卓爾中佐を

香港に派遣して、重慶側と接触させようと議決していた。



鈴木中佐は、三月に支那班長に就任したばかりだが、

この 〝同志〟 たちとの協議のあと、

十一月二十一日には、支那派遣軍総司令部付となった。

上司の諒解の下での転出であるが、

人事にも影響をおよぼし得る当時の中堅将校の   「実力」   を

ものがたる事例でもあろうか……。



汪兆銘にたいしては、十一月一日から、同日の閣議で決定された

「中央政治会議指導要領」   を提示して、上海で交渉が開始された。

汪政権が樹立されたのちの日本側の軍事、政治、経済上の   「要望」   を

列記したもので、実際には、大幅な   「権益」   の要求である。



内容は、日本占領地区の 〝満州国化〟 にひとしく、

汪兆銘側は駐兵、撤兵を中心に多くの条項について異議を申し立て、

修正を要求して交渉は難航した。


鈴木中佐は、南京に着任すると、今井大佐の同意を得てただちに香港にむかったが、

そのころ、十一月二十五日、上海での交渉は決裂状態になり、

汪兆銘も、政府樹立をあきらめる旨を影佐少将にもらすほどであった。》
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