入って中国人に南京事件真相議論しましょう

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

12月18日 慰霊祭後の涙の訓示はなかった1

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2009/10/23 18:36 投稿番号: [220 / 2250]
多くの本が、松井大将が慰霊祭のあと、

「おまえたちは、せっかく皇威を輝かしたのに、一部の兵の暴行によって、
一挙にして、皇威を墜してしまった」 と

泣いて叱ったと書いています。
そして、「ある師団長などはせせら笑った」 とも。

こういう記述から、松井大将はこの時期南京大虐殺を知っていた。
だから訓示したのだ、と大虐殺の証拠にされているわけです。


ところが、板倉由明氏の調べによると、これは間違いだということです。
彼は、その著 『本当はこうだった南京事件』 日本図書刊行会で

慰霊祭後の松井大将の 「涙の訓示」 は無かった。と言っています。

同書299p

《しかし不思議なことに、参列者の記憶や一次資料によればこの日、
慰霊祭の後に訓示は無い。

例えば 「次イテ軍司令官以上ノ玉串奉奠ヲ以テ式ヲ終ル。
時ニ午後二時四十五分頃ナリ」(第十軍参謀・山崎正男少佐日記)

と泣くも泣かぬもない至極アッサリしたものである。
ご本人の書いた松井日記はもちろん、派遣軍参謀長・飯沼守少将日記、

参謀副長上村利道大佐日記、その他すべて集めた限りの日記にこの 「訓示」
は無い。また、掲載されたはずの英字新聞も、松本氏が 「絶対にあるはず」

とはいうものの、今まで発見されていなかった》

と書いています。


「チョット待て、お前の書いた 『12月18日   慰霊祭と訓示』 の中に、早瀬利之著
『将軍の真実   南京事件   松井石根人物伝』 140〜142p   の引用として、

“飯沼守参謀長は、この朝の松井訓辞を、日記にこう記している。”
とあるではないか。」

と言われるかもしれません。


ところが、飯沼守少将日記を子細に調べてみると、これは午前二時の参謀長会議での話で、
日記からは、松井大将の言葉なのか、どうかも、判りません。


原文は

◇十二月十八日
  午前二・〇〇より首都飯店にて参謀長会同。

殿下より方面軍参謀長に伝へよとのこと、
師団長と共に訓示を与へらるることの其内容如何に依りては軍司令官の顔立たす。

(伝ふ) 司令官より老婆心として談話。

とあり、この後に、「例の訓示」 と同じ文章が続きます。

これは、朝香宮殿下が飯沼参謀長に、「師団長と一緒に訓示を与えられたら、
内容次第では軍司令官の顔が立たん」 と方面軍参謀長に伝えよ、と言う話です。

殿下も松井大将もこの場にいたら、こんな言い方にはならないでしょう。

その後に 「(伝ふ)司令官より老婆心として談話」 と来れば、
この場合の司令官は、朝香宮上海派遣軍司令官とも取れます。

仮に松井大将の伝言だとしても、
この場には、松井司令官も殿下もいないのですから、訓示にはなりません。

これは、早瀬氏が、先入観から、訓示と勘違いしたものでしょう。

つづく
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)