入って中国人に南京事件真相議論しましょう

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1938年1月5日 石川達三南京到着

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2013/01/04 18:42 投稿番号: [2160 / 2250]
『生きている兵隊』 中公文庫のあとがき・解説 (半藤一利) 205pより


《 南京に着いたのは、十三年一月五日。

念のために書くが、南京を日本軍が攻略したのは十二月十三日。

石川はずっと遅れてその地に着いている。

東京裁判でいう暴虐事件を目撃することはなかったが、

なお血なまぐさい、なまなましい事件後の状況を見聞することは可能であり、

そこで日本軍の実態に接してふかい衝撃をうけた。その回想が残されている。



「小便くさい貨車に便乗して上海から南京へゴトゴトゆられて行きました。

南京市民は難民区に隔離され、町のなかにゴロゴロと死体がころがっていて、

死の町という言葉がピッタリでした。

はじめて目撃した戦場は、ショックでした」



そして南京で八日、上海で四日、精力的な取材をすませると、

ただちに帰国する。》



*   ここでも、彼は、他の善良な日本人と   同じ勘違いしている。

   「南京市民は難民区に隔離され」   と言っているが、

   別に日本軍が隔離したわけではない。

   難民区は外国人が作ったのであって、便衣兵の温床・隠れ蓑となっていた。


   日本軍は逆に、その難民区を解体しようとしていたのだ。

   そして、それを外国人は快く思っていなかった。



   次に

   「町のなかにゴロゴロと死体がころがっていて、・・・ショックでした」

   と衝撃を受けた感想を述べているが、

   彼も、この死体を作ったのは日本軍だと勘違いしている。


   本当は、中国軍が脱出の時の同士討ちや混乱で生じたものなのだけど。

   結果として、彼が、描きたかった残酷シーンに相応しい現場の状況を見聞でき、

   好材料を得て   『生きている兵隊』   という、

   日本兵が残虐行為を働く小説が完成する事になる。
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