1939年 ノモンハン事件30 態勢整理
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/12/09 15:28 投稿番号: [2101 / 2250]
辻正信著
「ノモンハン秘史」
毎日ワンズ
189〜191p
《 参謀副長、服部参謀、著者と交替した磯谷参謀長は寺田参謀と共に戦場に進出し、
小松原師団の態勢整理を現地で指導された。
安岡支隊は戦車両連隊の半数を消耗して、
もはや大きな戦闘力を発揮し得ないことがわかり、
また安岡中将を同期の小松原師団長の指揮下に置くことは、
屋上屋
(おくじょうおく)
を架すの不利と認められたので、
その編組を解いて、原駐地に帰還し戦力を再建することに命令された。
この一戦で、一挙に越境外蒙軍を撃滅しようと期待したのに、
実際においては目的を達し得ず、さらに態勢を整理して敵の再犯に備えねば
ならなくなった。その原因は敵情の判断を誤ったことである。
我とほぼ同等と判断した敵の兵力は、我に倍するものであり、
とくに量を誇る戦車と、威力の大きい重砲とは、遺憾ながら意外とするところであった。
傍受電報によると、ソ連軍は損害の甚大なことを中央部に訴えており、
バイカル以東の病院は負傷者の収容に悲鳴を上げている。
我が損害も並々ならぬものではあるが敵はさらに大きな打撃を受けたらしい。
勝ち負けなし、引き分けに終わったこの戦場を確保しながら
攻勢の再興に応ずる方策が樹てられた。
ハルハ河左岸が右岸よりも高いことは、本質的な差として、両軍の上に現われている。
高いところから撃ち下ろす敵砲弾に暴露して、
第二十三師団主力を対峙させることは得策ではない。
再興のためには重砲を急速に戦場に招致しなければならぬ。
野戦重砲兵第三旅団
(第十連隊欠)
と、独立野戦重砲兵第七連隊の
内地動員が令せられ、その戦場到着までは守勢に立って、極力損害の減少に努力した。
砂漠の戦闘で、一番苦しんだものは飲料水である。
幸いに砂地を深く掘り下げると、随所に井戸水が湧いた。
崩れ易い砂を板で囲いながら掘って、冷たい水にありついた将兵がどんなに喜んだことか。
無尽蔵に近い敵の砲弾は、朝となく夕となく、惜しげもなしに
師団の正面に集中せられ、砂の壕はその都度埋められて、
夜間辛うじて補修する作業が、その後約十日間にわたって続けられた。
空中戦は互角の勝負を続けたが、敵は満領内を無制限に爆撃するのに反し、
我はハルハ河を越えて爆撃することは、大命で固く禁ぜられている。
脚を縛って走らされる苦痛に、飛行隊将兵はどんなにくやしかったであろう。
ああ、東京が怨
(うら)
めしい。
足伽手伽
(あしかせてかせ)
を
外してくれたらと、毎日天を仰いで嘆息する日が続いた。》
つづく
これは メッセージ 2095 (kir**gotowa**me さん)への返信です.
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