松井大将 赤子を拾う
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2009/10/11 16:08 投稿番号: [208 / 2250]
早瀬利之著『将軍の真実
南京事件
松井石根人物伝』134〜136p
湯水鎮の焼け跡から赤子を救う
松井石根方面軍司令官は、十五日午後一時、蘇州を発った。
蘇州飛行場から句容飛行場に飛び、そこから自動車で湯水鎮の方面軍司令部に移動した。
着いたのは夕方の四時だった。
南京攻撃の日から十四日まで、松井は肺炎を併発する寸前の重態だった。
高熱と悪寒に苦しんでいる。作戦命令は病床から冷静に命令、伝達した。
当初、湯水鎮への移動は十四日を予定していたが、軍医に止められて一日延期となった。
蘇州にいる間、司令部には、天皇より参謀総長を経て、
南京攻略に関しての御語が届けられた。
「中支那方面軍の陸海軍の諸部隊が上海付近の作戦に引き続き、勇猛果敢なる追撃
を行ない、首都南京を陥れたることは深く満足に思う、この旨将兵に申し伝えよ」
松井は読み終えると、塚田攻参謀長に手渡した。
松井も幕僚たち全員も、感あまって、ついにうれし泣きした。
天皇の御語はただちに塚田から全軍に伝達された。
派遣軍司令部から各師団へ、師団から旅団へ、旅団から連隊。
その間、松井はただちに天皇への奉答の辞を書き、電送させた。湯水鎮への移動は
そのあとのことで、松井は、ひとつの区切りもあり、いくらか気分も回復していた。
この湯水鎮は温泉が湧くので有名である。
蒋介石はここに別荘をもっていたが、行ってみると戦災で焼失して跡かたもない。
松井は、久しぶりに、幕僚たちといっしょに入浴した。
「一同、久しぶりに入浴して気分を好くす」と、松井は十六日の日記に書いている。
いくらか、この日は体力をもち直していた。
宿舎に戻ったころである。松井や副官の角良晴、それに通訳の岡田尚らは、深夜、
外で赤子の泣き声を聞いて眼をさました。
岡田が外に出て見ると、焼け跡に女の赤子があった。
岡田と当番兵の二人が拾い上げ、温泉で赤子を洗った。
そのあと毛布にくるみ、松井のところに見せに行く。松井も赤子を抱き上げた。
「なんと、むざんなことを」と思った。思わず涙がぽろぽろと落ちた。
岡田がふと、
「松井閣下の松をとって、松子と名づけたい」というと、
「よし、岡田、この子を連れて、南京に行くぞ。お前、面倒見てやれ」
松井が岡田に命じた。南京近くまでは松井が赤子を背負って行ったともいわれる。
のちに、松子は東亜倶楽部の職員、鳥井氏の養女として育てられたが、
幼稚園に行くころ病没した。
これは メッセージ 207 (kireigotowadame さん)への返信です.
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