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1937年の慰霊祭後の涙の訓示はなかった4

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/11/17 15:25 投稿番号: [2055 / 2250]
板倉由明著   『本当はこうだった南京事件』   301〜304p


〈①   十二月十七日の入城式には参列していない。

②   そのころ南京へ行ったのは一回だけ。

③   汽車で往復した。

④   参列者は五百人から一千人くらい。



①はジャーナリストがメインイベントたる入城式を抜かして、

   慰霊祭だけ参列するはずがない。・・・

②は前田日記によれば二月七日の確証がある。

   松本は慰霊祭前に、同盟支局で支局員たちに会えなかった、と

   「上海時代」   に記しているが、これは翌日から発行の   『南京新聞』

   の準備に忙殺されていたのである。

③は汽車の開通は鎮江のトンネルが不通のため十二月二十二日からで、

   入城式、慰霊祭参列の人々は、海軍艦艇に便乗して揚子江を遡行して

   下関から上陸した。

④の参列者数は十二月十八日には三千人以上は確実だが、

   二月七日は各部隊が長以下数名の代表で参列したため

   ほとんどが将校で、五百人程度であった(石松政敏氏談)。



しかし決定的な確証は、防衛研究所戦史部・原剛氏によってもたらされた。

原氏が発見した二月八日の   『ノース・チャイナ・デイリーニューズ』

『チャイナ・プレス』   には正に相当する同盟配信の記事があったのである。


《   「松井将軍軍紀引き締めを命令

    日本軍兵士の行為についての非難に直面して厳命」

  (南京   二月七日=同盟)


  戦死した日本軍将兵追悼式後の厳粛な雰囲気の中で、中支那派遣軍(ママ)

総司令官松井石根大将は、本日、部下指揮官に対し「帝国陸軍の威信を高めるために」

各自の指揮下部隊における軍紀を引き締めるよう訓示した。

風吹きさらす南京練兵場で訓示を受けた高級士官の中には、

皇族の朝香鳩彦王中将宮殿下がおられた。



戦争状態の長期化が予想されるため、

日本軍部隊の決意に関して長い時間をかけて語った松井将軍は、

部下将兵に対し、日本軍部隊の威信に影響を与えている種々の報道に

終止符を打たせる必要性について注意を喚起した。



日本陸軍の歴史上未曾有と言われる将軍のこの訓示は、

日本軍部隊の報道された軍紀違反について不利なコメントが

繰り返される事態に直面して行われたものである。》

・・・・


昭和六十二年三月十六日、この新聞コピーを持参しての再度の訪問で、

松本氏は   「間違いなくボクの記事だ」   と記憶違いを率直に認められた。

しかし、松本氏自身が不思議がるように、

どうしてこんな大きな間違いが生じたのであろうか。〉



*   ここで、松井大将の訓示は12月には無かったけど、

   2月に有ったことが判ります。



つづく
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