1937年12月18日 松本重治氏の慰霊祭参列1
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/11/12 18:51 投稿番号: [2045 / 2250]
松本重治著
『上海時代・下』
246〜249p
《 十八日朝、南京に着いた。・・・
まず
「同盟」
の南京支局を訪れたが、一両日中に再開というので、
「同盟」
の従軍記者たちが臨時に中山路のある空家を占拠していたので、
そこを訪ね、同僚たちを労
(ねぎら) おうとしたが、
居合せたのは連絡員だけで、記者やカメラマンの多くは、
取材のため、八方飛びまわっていて、残念ながら会えなかった。
慰霊祭定刻二時の半時間前に入場せねばならぬので、探堀報道部長とともに、
急ぎ祭場の故宮飛行場へ行った。
その日は曇りで、風は強くはなかったが、膚を刺すような寒さであった。
夜来の小雨が雪と変じ、式場は薄化粧をしていた。
参列部隊は定刻までに整列を終えつつあった。
見れば、祭場の中央には東面して、白布の祭壇がしつらえられ、
祭壇の上には神酒を中に、海の幸、山の幸の供物の数々が供えられ、
その後方には高さ数メートルの四角の白木に
「中支那方面軍陸海軍戦病没将士霊標」
と認
(したた)
められていた。
戦役した従軍記者、従軍カメラマンたちも合せ祀られていたのであった。
周囲には白布を垂らした真榊が立ち並び、野戦斎場の簡素な情景の中に、
森厳たるものがあった。
斎主としては、陸軍を代表して松井最高指揮官、
海軍を代表して長谷川
「支那方面艦隊」司令長官。
両氏が定刻に喇叭
(らっぱ)
の音とともに別れ、祭壇近くに着席した。
一段後方に朝香中将宮、柳川中将、近藤戦隊司令官、
さらに後方に各部隊首脳部将士約五百名が参列していた。
式は神式に則って進められ、松井・長谷川両指揮官の祭文が厳粛に読まれ、
ついで日高参事官が川越大使の弔辞を代読、両斎主の玉串奉奠があり、
その間、陸海軍の喇叭手が吹き鳴らす
「国の鎮め」
のうちに、
参列将士一斉に捧げ銃を行い、慰霊祭はいともおごそかに終った。
私はそれで終ったかと思っていると、
松井最高指揮官が、つと立ち上り、・・・》
つづく
これは メッセージ 2042 (kir**gotowa**me さん)への返信です.
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