1939年5月 丁黙邨ら汪兆銘の部下となる
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/10/20 16:15 投稿番号: [1985 / 2250]
児島襄著
『日中戦争5』
205p
《 宿舎には、中央宣伝部長周仏海、中央宣伝部香港特派員梅思平、
元亜州司長高宗武その他が先着していた。
汪兆銘が、一同と再会を喜びあっていると、
土肥原機関員晴気慶胤少佐が、二人の中国人をひきあわせた。・・・
晴気少佐が紹介した二人は、
いずれも
「CC団」
に所属していた丁黙邨、李士群であった。》
晴気慶胤著
『上海テロ工作76号』
毎日新聞社
120〜121p
《 汪兆銘が上陸した日、
丁黙邨と李士群は汪派の和平運動に参加するについての条件を提出した。
その会見には周仏海とチョ民誼が陪席していた。
条件は次の通りであった。
一、『七十六号』
を汪派国民党の秘密警察に公認して、特務工作総司令部
(特工総部)とし、十月以降の経費は汪兆銘が支給すること。
二、新中央政府が成立したら、内政部長と上海市長、江蘇省主席の椅子を
もらいたい。
あまり過大な要求に、チョ民誼と周仏海は思わず顔を見合わせた。
汪兆銘は別室でしばらく側近のものと協議した末、次のように答えた。
「特工は喜んで特工総部としよう。経費は影佐大佐と相談して不自由がないようにする。
しかし上海市長と江蘇省主席の椅子は
『七十六号』
だけに渡せない。
それは上海と江蘇省が和平運動の基盤だからである。
また、内政部長の仕事は広範で特工と兼任するのは困難と思う。
しかし警察行政だけは特工にまかせてもよい。そこで内政部から警察行政を
引き離して、警政部を新設し、その部長と次長をあなた方に約束しよう」
丁黙邨はこの回答に満足できず、特に上海市長の椅子をしつこく要求した。
しかし、李士群はその辺で妥協しようと丁黙邨に勧めていた。
この態度をみた汪兆銘はつづいてぬかりなく、
「八月の末ごろに全国国民代表大会を開きたいから、
ぜひその世話人になってもらいたい」
と大会を開く準備をすることを丁黙邨に依頼した。
二月以来、自分たちの手で代表大会も開きたいと念願し、
市党部工作もその準備にすぎないと考えていた丁黙邨は、
汪兆銘のこの言葉にすっかり喜んで、 「身命を賭して、必ずご期待にそいます」
と思わず誓ってしまった。
上海市長の椅子に執着していた丁黙邨もこうして妥協したので、
『七十六号』
と汪兆銘一派との合流も大した波乱もなく、ここに実現した。
児島襄著
『日中戦争5』
206
《 汪兆銘は、蒋介石の刺客から逃れて、まず自分の 〝刺客機関〟 を
保有することになったわけだが、こと新政府の樹立にかんしては、難航した。》
これは メッセージ 1983 (kir**gotowa**me さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552022058/ffea4ca4fcf9qbfma4kfn5febbv7obfbfaj5doc0a47a4dea47a4ga4a6_1/1985.html