1939年5月8日 仏疎開に行くという汪氏夫人
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/10/19 18:44 投稿番号: [1983 / 2250]
児島襄著
『日中戦争5』
《 汪兆銘一行は、夫人陳璧君をのぞいて、
上海憲兵隊が用意した新公園北側の宿舎におちついた。
夫人陳壁君は、いかに説得しても同行を拒否し、フランス租界の娘宅にむかった。》
晴気慶胤著
『上海テロ工作76号』
毎日新聞社
118〜119p
《 汪夫妻は、陸上の警備が万端整った上で、翌早朝上陸することとなり、
影佐大佐はその準備をするために一足先に上陸した。
その際 〝九仭
(きゅうじん)
の功を一簣
(いっき)
にかかない〟 ために
今夜だけは自重するように切望して、汪夫妻を船に残して一夜の別れを告げた。
重光堂では明日に迫った汪夫妻の上陸を迎える準備で多忙であった。
影佐大佐は上陸するなりここへ入ったのであった。
その混雑の最中に、影佐大佐の後を追って汪夫人、陳璧君が突然訪ねてきた。
あれほど船中にいるようにいってきたのに、いったいどんな事件が起こったのかと
驚いた影佐大佐は、あわてて玄関に飛び出した。
そこには汪夫人が傲然として突っ立っていた。
「今からフランス租界の娘の嫁ぎ先に行きますから自動車を貸して下さい。
船には夫が残っていますからよろしくお頼みします」
こういった彼女は、すぐ車を駆って仏租界の方に消えていってしまった。
彼女は影佐大佐が船を去ったあとで、
すぐ自分も上陸したいと警備員にしつこく申し出たが、
それははなはだ危険なので許されなかった。
ところが日が暮れるころになると、半狂乱になり
「艀
(はしけ)
がなければ泳いでも上陸する」
と叫ぶので、
警備員は処置に窮しひとまず重光堂まで彼女を送り届けたのであった。
これは、汪の和平運動で起きたはじめての内輪のトラブルであったが、
汪夫人が幸いに無事に虹口に帰ってきたのでそのまま事なくすんだ。》
これは メッセージ 1981 (kir**gotowa**me さん)への返信です.
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