1937年12月 城内及び安全区の掃蕩1
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/10/16 18:37 投稿番号: [1975 / 2250]
児島襄著
『日中戦争4』
231p
《 城内の掃蕩を担任する各部隊は、緊張していた。
第十軍司令官柳川平助中将は、既述したように、必要があれば
「城内ヲ焼却」
してもよいと下令し、また
「特ニ 敗敵ノ 欺賄行為ニ 乗ゼラレザル ヲ要ス」
と指示した。
各部隊とも、 「焼却」
戦が必要とは考えなかったが、
中国側の
「欺瞞行為」
には神経をとがらせざるを得ない。
これまでにも、中国側は、軍服をぬいで便衣で戦い、
ときには老婆に変装して日本軍をおそうほか、
現実に婦女子も武器をとって戦うことは、どの部隊も体験ずみだからである。
おかげで、各部隊は、いずれも
「敵愾
(てきがい)
心ト恐怖心」
に
身をこわばらせていた。
「日本軍は、いつどこから飛んでくるかわからない手榴弾や
小銃弾に極度に緊張しながら、徹底的に掃蕩した」
と、第四十七連隊戦記
『郷土部隊奮戦史』
も記述している。
掃蕩は、だから、まさに
「徹底的」
となり、
いずれは軍政機関、宿舎用に利用するビル、民家はしらみつぶしに捜索され、
消防員、警察官など制服着用者はすかさず連行され、
走りだす者、逃げだす者は、とっさに銃撃の対象になった。
青壮年男性は、例外なくチェックされ、
肩に銃をかついだり背嚢をせおった形跡をのこす者は、捕虜にされた。》
東中野修道著
『南京大虐殺の徹底検証』
173〜174p
《 そもそも安全地帯とは、非戦闘員の市民のための避難地帯であった。
そこに、便衣
(普段着)
身なりの正規兵が身を潜めていた。・・・
彼らは、後に述べるように、莫大な量の銃砲を隠し持っていた。
その武器をもって、いつ何時、支那兵が攻撃をもくろむか、計り知れなかった。
スティール記者が言うように
「市内にはまだ潜伏して狙撃してくる中国兵」
が
いたのである。
『南京戦史』
によれば、実際、十二月十四日のことになるが、
戦車中隊が中山路の十字路で戦車から下車して付近の講堂に入ったところ、
敗残兵数十名から銃撃されて、日本兵が大急ぎで乗車して難を免れたことがあった。
掃蕩中に敗残兵から射撃されたこともあったのである。
日本軍としては安心できなかった。》
*
東中野氏は、便衣兵が安全区に
「莫大な量の銃砲を隠し持っていた。」
と言っているがそれは、少し違う。
「隠し持っていた」
のではない。
中国軍は、安全区の中に基地を造っていたのだ。
そしてラーベ達の申し出にも関わらず、最後まで撤去しなかった。
だから、武器があって、当たり前。別に隠しているわけではない。
これは メッセージ 1973 (kir**gotowa**me さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552022058/ffea4ca4fcf9qbfma4kfn5febbv7obfbfaj5doc0a47a4dea47a4ga4a6_1/1975.html