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1939年 塚本氏 上海へ

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/10/15 18:44 投稿番号: [1974 / 2250]
塚本誠著   『ある情報将校の記録』   中公文庫
269〜271p


《 課長臼井大佐は私に、

「上海に出張し、現地諸機関と連絡協力し、汪精衛   (兆銘)   一行の安全を図れ」

と命じた。

前年三月まで上海に勤務していた私の経験を買っての出張命令とは思うが、

上海には面識者も多い。

工作は秘中の秘、私はよほど注意せねばならぬと思った。



岡田も、 「特に秘密保持に留意せよ」   と注意し、影佐大佐一行の変名表

(電報上の)を渡した。変名にはいずれも映画俳優の名が使われていた。

私には、 「嵐寛寿郎」   が新たに割り振られた。

その時、私は映画   「漢奸の娘」   の塚原大尉に出演する   「藤井貢」   を思い出して、

「岡田、俺には、藤井貢はどうだ」   というと、

「貴様の印象は   『嵐』   と呼ぶ方がピッタリ来る」   と答える。

私は言動が荒っぽいため少尉時代将校団の先輩からは

「嵐やん」   とよく呼ばれていた。私の不徳のいたすところである。



汪精衛氏一行を上海で引き受ける窓口は、最近まで土肥原中将の補佐官であり、

現在同機関を残務整理中の晴気慶胤少佐である。

晴気さんは、参謀本部支那課出身。

対中工作の全般情勢に精通している人で私の一年先輩である。

また機関の残務整理をする一方、

上海における丁黙邨、李士群の特務工作を指導する別命も帯びていた。



私は、上海到着後、すぐ晴気少佐と上海憲兵隊本部特高課長林秀澄少佐を訪ねた。

両少佐は、熊本幼年校以来の同期生、汪精衛問題に関することは、

晴気からすべて林に伝えられ、両者密接な提携のもとに、

一行の宿舎、上陸の手はずは、すっかり準備を完了していた。



汪精衛氏一行の宿舎には、上海新公園北側の海軍陸戦隊接収の家屋が当てられ、

その周辺にはバリケードまで準備されていた。

旧土肥原機関の建物   「重光堂」   もこの近所にあった。

上陸の手はずは次のようになっている。



汪精衛氏の乗船北光丸が、黄浦江をさかのぼり、中支那碇泊場監部前に

さしかかったさい、碇泊場監部は、

「その船容疑の点あり。臨検す。ただちに停船せよ」   との信号を掲げる。

臨検中に一行を数次に分割してひそかに上陸させ、宿舎に直行する。

汪精衛氏の護衛は、集団的暴力をも排除することを予想して憲兵側が準備する。

臨検終了後、北光丸は再び黄浦江を遡航し、定規の地点に繋留する。



以上の手はずは、中支那碇泊場司令監片村四八少将と林少佐の秘密取決めで、

晴気以外にはだれにもまだ話してないとのことだった。

碇泊場監部は、上海共同租界の東端楊樹浦地区に膚接する黄浦江の中洲で、

当時日本側はこれを   「昭和島」   とも呼んでいた。》
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