入って中国人に南京事件真相議論しましょう

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1937年12月14日 山田支隊 非戦闘員を解放

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/10/11 18:34 投稿番号: [1965 / 2250]
児島襄著   『日中戦争4』   229〜230p


《 十二月十四日朝   −

その南京北部の要地・幕府山も、あっけなく陥落した。

第十三師団第百三旅団第六十五連隊第五中隊百二十人が、

決死の攻撃をこころみたのだが、中国軍第二軍団、教導総隊の残兵は、

自発的に続々と投降したからである。



捕虜総数は、なんと 「一万四千七百七十七人」 ……。

もっとも、投降者の中には、中国側の焦土戦術によって家を焼かれ、

行き場も逃げ場もうしなった住民多数がふくまれている。

第百三旅団長山田栴二少将は、第六十五連隊長両角業作大佐に命令して、

一見して難民とわかる者は釈放させ、

中国軍兵士だけ約八千人を幕府山付近の中国軍兵舎に収容させた。



それでも約八千人の多数である。二十二棟の兵舎にすしづめになった。

「皇軍はお前たちを殺さぬ」

連隊長両角大佐が告げると、通訳された中国軍兵士たちは、

いっせいに合掌し、次いで歓声をあげた。》



両角業作   手記


《 幕府山東側地区、及び幕府山付近に於いて得た捕虜の数は莫大なものであった。

新聞は二万とか書いたが、実際は一万五千三百余であった。

しかし、この中には婦女子あり、老人あり、全くの非戦闘員

(南京より落ちのびたる市民多数)   がいたので、これをより分けて解放した。



残りは八千人程度であった。これを運よく幕府山南側にあった厩舎か鶏舎か、

細長い野営場のバラック   (思うに幕府山要塞の使用建物で、

十数棟併列し、周囲に不完全ながら鉄線が二、三本張りめぐらされている)

とりあえず、この建物に収容し、

食糧は要塞地下倉庫に格納してあったものを運こび、

彼ら自身の手で給養するよう指導した。

当時、我が聯隊将兵は進撃に次ぐ進撃で消耗も甚だしく、

恐らく千数十人であったと思う。



この兵力で、この多数の捕虜の処置をするのだから、

とても行き届いた取扱いなどできたものではない。

四周の隅に警戒として五、六人の兵を配置し、彼らを監視させた。》
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