入って中国人に南京事件真相議論しましょう

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1937年12月13日のラーベの日記3

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/10/09 18:39 投稿番号: [1958 / 2250]
《 日本軍は十人から二十人のグループで行進し、略奪を続けた。

それは実際にこの目で見なかったら、とうてい信じられないような光景だった。

彼らは窓と店のドアをぶち割り、手当たり次第盗んだ。

食料が不足していたからだろう。

ドイツのパン屋、カフェ・キースリングもおそわれた。

また、福昌飯店もこじ開けられた。

中山路と太平路の店もほとんど全部。なかには、獲物を安全に持ち出すため、

箱に入れて引きずったり、力車を押収したりする者もいた。



我々はフォースターといっしょに太平路にある英国教会にいってみた。

ここはフォースターの伝道団の教会だ。手榴弾が二発、隣の家に命中していた。

近所の家もみなこじ開けられ、略奪されていた。

フォースターは、自転車を盗まれそうになってびっくりしたが、

我々を見ると日本兵はすぐに逃げ去った。



日本のパトロール隊を呼び止め、この土地はアメリカのものだといって、

略奪兵を追い払うようにと頼んだが、相手は笑うだけでとりあおうとしなかった。

二百人ほどの中国人労働者の一団に出会った。安全区で集められ、

しばられ、連行されたのだ。

我々がなにをいってもしょせんむだなのだ。



元兵士を千人ほど収容しておいた最高法院の建物から、四百ないし五百人が連行された。

機関銃の射撃音が幾度も聞こえたところをみると、銃殺されたにちがいない。

あんまりだ。恐ろしさに身がすくむ。

外交部のなかの病院に入れてもらえない。

中国人の医師や看護人はかんづめにされている。



日本軍につかまらないうちにと、難民を百二十五人、大急ぎで空き家にかくまった。

韓は、近所の家から、十四歳から十五歳の娘が三人さらわれたといってきた。

ベイツは、安全区の難民たちがわずかばかりの持ち物を奪われたと報告してきた。

日本兵は私の家にも何度もやってきたが、

ハーケンクロイツの腕章を突きつけると出ていった。

アメリカの国旗は尊重されていないようだ。

仲間のソーンの車からアメリカ国旗が盗まれた。

被害を調べるため、今朝六時からずっと出歩いていた。韓は家から出ようとしない。



日本人将校はみな多かれ少なかれ、ていねいで礼儀正しいが、

兵隊のなかには乱暴なものも大ぜいいる。

そのくせ飛行機から宣伝ビラをまいているのだ。

日本軍は中国人をひどい目にあわせはしないなどと書いて。》

(字数の都合で以下数行略)



*   ここの話は、 「スミス氏   (ロイター通信社)   講演」   と合わない。

   スミス氏は14日の昼までは、略奪も危害もなかったと言っている。

   ラーベの日記には   「14日」   の項目がないから、おそらく13日に混ぜたのだろう。


*   「フォースターは、自転車を盗まれそうになってびっくりしたが、

   我々を見ると日本兵はすぐに逃げ去った。」

   日本軍が必要に応じて徴発する時は、彼らを見ても逃げない。

   その “日本兵” は本当に日本人なのか?
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