12月14日 和平案改訂と陸海軍の動き
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2009/09/29 18:50 投稿番号: [194 / 2250]
和平案改訂会議
十四日午後、第二回目の大本営政府連絡会議が開かれ、
独大使に対する回答案が提出された。
出席者は、大本営側から参謀次長、軍令部次長、政府側から総理、陸、海、外三相の
ほか賀屋蔵相、末次内相 (馬場硏一辞任のため、一十四日、内閣参議から内相に就任)
が出席し、風見内閣書記官長と陸海軍両軍務局長
(町尻量基少将と井上成美少将) が幹事役であった。
この会議では、まず交渉成立の見込みが問題となった。
参謀次長は、陸軍部内でもこの見通しについては異論があるが、
次長としては見込みは少ないが一応筋を通して、
当方の誠意を示しておく必要があるという見解であった。
次いで独大使に示す案について検討したが、初めて本案を見る人もあったので、
明日更に会議を開くことになった。
また、あたかもこの日、北支に臨時政府が成立したので、
中国新中央政府の問題が論議された。
(戦史叢書 『支那事変
陸軍作戦1』 463p)
杭州作戦
十二日、軍は第十八師団は、下泗安及び広徳付近、第百一師団主力
(第六野戦重砲兵旅団主力、独立第二野戦重砲兵大隊属) は湖州付近、
第一後備歩兵団 (四大隊編成) は嘉興付近に兵力を集結し、
杭州攻撃を準備するよう命じた。
第十八師団の大部は、十四日蕪湖付近出発、
(戦史叢書『支那事変
陸軍作戦1』430p)
入城式の日取り交渉
早瀬利之著 『将軍の真実
南京事件
松井石根人物伝』 136p
十四日、蘇州から塚田参謀長を通じて 「入城式は十七日に行なう」 旨を
上海派遣軍に伝達、しかし、上海派遣軍は十七日は不可能と返答してきた。
入城式については、方面軍参謀の長勇が十六師団と現状について連絡した結果、
掃蕩の関係から、入城式は二十日以降がいいだろうと判断し、
松井方面軍司令官に事情を説明している。
海軍
十四日、第一警戒部隊各艦艇は敗残兵の掃蕩、航路の啓開を続行した。
その概要は次のとおりである。掃四は蕪湖に進出。
「二見、熱海」 は草鞋峡水路を啓開。「比良」 及び特掃二隻は鎮江において
天谷支隊の渡江作戦に協力。特別作業隊は烏龍山閉塞線の拡大啓開に従事。
「保津、鶴、安宅、鴻、江風」 は、「パネー」 遭難地にあって救助作業に従事。
各艦艇は陸戦隊を揚陸して江岸の敗残兵を掃蕩、下関の海軍碼頭、中山碼頭一帯を占拠。
(戦史叢書 『中国方面海軍作戦1』 468p)
これは メッセージ 192 (kireigotowadame さん)への返信です.
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