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1939年1月8日 汪兆銘の 「挙兵計画」

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/08/15 16:20 投稿番号: [1834 / 2250]
児島襄著   『日中戦争5』    195〜196p


《 汪兆銘は、一月八日、前年の   「和平提議」   書を公表する一方、

日本側に   「挙兵計画」   をつたえた。

雲南、四川軍を約三〜六カ月間の準備で挙兵にみちびくが、

それまではもっぱら中央軍の約三分の一を抱きこむ工作をおこなう、という。

そして、汪兆銘は、この準備期間中に   「毎月香港貨約三百万元」   の支援と、

長沙、南昌などにたいする日本軍の作戦、重慶空襲を、日本側に要請した。



資金援助はともかく、軍事行動は、日本側にとっては、うけいれられない。

陸軍は、前年の十二月六日、 「昭和十三年秋以降対支処理方策」   を、

次のように決定していた。


「漢口、広東ノ攻略ヲ以テ   武力行使ニ 一期ヲ画シ……当分ノ内……

治安ノ快復ヲ   第一義ニシ……残存抗日勢力ノ 潰滅工作ハ   依然之ヲ続行スルモ、

主トシテ……謀略 及 政略ノ運営ニ俟   (ま)   ツ」


なにがなし、日本の戦争能力は一、二年間が限度だ、という蒋介石の言葉を

裏書きする   「軍事的息切れ」   の表意ともうけとれる表現である。

その意味では、日本側のほうが汪兆銘の   「挙兵工作」   を期待する事情下にある。



参謀本部支那班長今井中佐によれば、汪兆銘側は、

その同調者として軍政部長何応欽をふくむ将領の名前をあげていたが、

動く気配は感得されない。



いや、前述した交通部次長彭学佩は、張道藩、甘乃光、王世杰らとともに、

汪兆銘の腹心とさえみなされる存在であったが、 あとにつづくどころか、

逆に蒋介石の指示を受けて汪兆銘と日本側との離間をはかっている。


刺客の活躍も、めだちはじめた。》



*   重慶爆撃は、この年の5月から始まるが、もしかしたら、

   汪兆銘の要請に応じたのかも知れない。
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