1939年1月4日 近衛内閣総辞職
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/08/14 16:46 投稿番号: [1832 / 2250]
児島襄著
『日中戦争5』
193〜194p
《 汪兆銘はドイツからも
「袖」
にされ、刺客の足音にもおびえざるを得ない。
近衛内閣が総辞職した。
かねて閣内の不統一をさそっていた日独伊三国同盟問題、
総動員法第十一条
(株主への配当制限)
問題が、直接の誘因であった。
翌日には、平沼騏一郎内閣が誕生し、
平沼首相は対中国政策が不変であることを、声明した。
−だが、
こと汪兆銘にかんしては、その
「脱出」
をさそった形の近衛首相の退陣、
それも
「脱出」
直後の退陣が、
汪工作の
「気をぬく」
効果をあたえたことは、否定できない。
「近衛も怪しからんやっちゃな。汪さんのような中国の元老を
ハノイにまで引きだしておいて、自分はさっさと辞めるとは
−
国際信義も何もあったものじゃないな」
陸軍省軍務課長影佐大佐は、そう、逓信省参与犬養健にぼやいたものである。
蒋介石は、喜んだ。
近衛首相の退陣は、そのまま日本側の和平工作の根の浅さを告げるものであり、
汪兆銘の動揺も当然に予期できるからである。
「此為我抗戦最大之収穫……」
蒋介石は、国防最高委員会の設置をはじめ、
あらためて抗戦態勢の整備にはげむとともに、
汪兆銘にたいしては、なお外遊勧告をつづけながら、
その周辺に刺客を派出してゆさぶりをかけることにした。》
これは メッセージ 1830 (kir**gotowa**me さん)への返信です.
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