1937年12月8日 開城勧告文 の作成
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/08/13 15:03 投稿番号: [1829 / 2250]
早瀬利之著
『将軍の真実
南京事件
松井石根人物伝』
125〜126pより
《 松井は十二月七日から十五日まで、蘇州の方面軍司令部にいた。
八日、方面軍の幕僚会議の席上、南京政府に対して 「降伏勧告文」 を
撒布 (さんぷ) することを、中山寧人参謀に指示する。
これを受けて中山は、原文を書き、松井に見せたあと、中国語に翻訳させることにした。
しかし、翻訳担当の藤木通訳官は上海留守司令部にいるため、
翻訳の仕事は岡田尚に回された。岡田はすぐに翻訳にとりかかった。
翻訳すると、松井石根方面軍司令官に見せ、検閲を受けた。
了解が出ると、すぐに印刷にかかった。
岡田の記憶では、 「何千枚か、兵により印刷された」
とある。
それを、句容の飛行場から運び、軍用機から南京市内の上空をひと回りして撒布した。
岡田が中国語に翻訳した主文は十六行の短いもので、
最後に
「昭和十二年十二月、大日本陸軍総司令官、松井石根」
としめた。
彼が翻訳した日本文は、こうである。
「日軍百万すでに江南を席捲せり。南京城はまさに包囲の中にあり。
戦局の大勢よりみれば、今後の交戦はただ百害あって一利なし。
惟
(おも)
うに江寧の地は中国の旧都にして民国の首府なり。
明の孝陵、中山陵など古蹟、名勝蝟集
(いしゅう)
し、
さながら東亜文化の精髄の感あり。
日軍は抵抗者に対してはきわめて峻烈にして寛恕せざるも、
無辜
(むこ)
の民衆および敵意なき中国軍隊に対しては寛大をもってし、
これを犯さず、東亜文化に至りては
〔力をつくして〕
これを保護保存するの意あり。
しかして貴軍にして交戦を継続せんとするならば、
南京は勢いかならずや戦禍をまぬかれがたし。
しかして千載の文化を灰燼に帰し、十年の経営はまったく泡末とならん。
よって本司令官は、日本軍を代表して貴軍に勧告す。
すなわち南京城を和平裡に開放し、しかして左記の処置に出でよ。
昭和十二年十二月
大日本陸軍総司令官
松井石根」》
注
寛恕
カンジョ
ひろい心でゆるす。
無辜
ムコ
罪がないこと。
千載
センザイ
千年
これは メッセージ 1826 (kir**gotowa**me さん)への返信です.
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