1937年 句容攻略と百人斬り記事 第3号
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/07/30 18:28 投稿番号: [1799 / 2250]
児島襄著
『日中戦争4』
182p
《 蒋介石は、十二月五日、 「守土責任」
を放棄する官吏、軍人は例外なく
軍法会議で処断する旨を布告し、句容西方の湯山陣地を視察した。
ところが、蒋介石が守将の第六十六軍第一五九師長譚邃と対談している
午前十一時ごろ、はやくも前方に日本軍の出現が報告され、銃声もきこえた。
蒋介石は、 「鎮静」
に、かつ、す早く丘をおりて南京に帰ったが、
午後一時には句容の陥落、午後四時には天王寺から北上してきた日本軍
(第九師団第三十六連隊)
が、句容西方の淳化鎮に進出したとの報告をうけた。》
戦史叢書
『支那事変
陸軍作戦1』
424p
《 第十六師団の追撃隊は、五日、句容付近に陣地を占領した敵を突破し、
第九師団の追撃隊は、同日、南京第一線陣地である淳化鎮付近に進出した。》
百人斬り新聞記事
〔昭和12年12月7日
大阪毎日新聞朝刊
〕
《 百人斬り競争の二少尉/相変らず接戦の猛勇ぶり
丹陽にて 【三日】 句容にて 【五日】 浅海、光本本社特派員発
南京を目ざす
「百人斬り競争」
の二青年将校、片桐部隊向井敏明、
野田毅両少尉は句容入城にも最前線に立つて奮戦、
入城直前までの成績は向井少尉は八十九名、野田少尉は七十八名といふ接戦となつた
(両少尉の写真)
敗けず劣らずの野田少尉(右)と向井少尉(左)
(常州にて−佐藤本社特派員撮影)》
*
記者は、向井少尉が丹陽にて負傷し、入院していることを知らずに書いている。
向井少尉は12月15日まで入院しているから、丹陽から句容はおろか
南京戦にもいない。
この記事が、創作であることは明白。
これは メッセージ 1785 (kir**gotowa**me さん)への返信です.
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