1937年12月1日 南京攻撃が決まる
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/07/19 18:33 投稿番号: [1777 / 2250]
参謀本部の多田次長は南京攻略戦を阻止しようと努力していましたが、
いかんせん、状況が不利でした。
蒋介石は戦争をやめる気はないし、ラーベたちが安全区の承認を要求しています。
いつまでも返事しないわけにも行きません。
全てが、南京戦を進めたい下村第一部長の都合のいいように動いています。
下村第一部長は南京攻略の研究を進め、多田次長を説得しました。
戦史叢書 『支那事変 陸軍作戦1』 422〜423pより
《 参謀本部第一部では制令線撤廃のころから本格的に南京攻略の研究を始め、
また第一部長は、しきりに参謀次長の説得に努めたが、次長は容易に同意しなかった。
事変処理の政略的要求を強く考えていたためである。
一方、現地軍は再三にわたり督促の意見具申をなすとともに、
その第一線を無錫−湖州の線以西に進出させていた。
よって第一部長は、十一月二十七日、方面軍参謀長あて
「当部ニ於テハ 南京攻略ヲ実行スル 固キ決意ノ下ニ 着々審議中ナリ
未タ 決裁ヲ得ル迄ニハ 至ラサルモ 取敢ス オ含ミマテ」
と打電した。 これに対し
「唯今 貴電ヲ見テ 安心ス 勇躍 貴意ニ副フ 如クス」
との返電があった。
第一部長はさらに熱心に次長に意見具申するとともに、二十八日、
すでに作成していた作戦指導要綱を説明して、ついに次長の同意を得た。
これからは一瀉 (いっしゃ) 千里に事が運んだ。
十二月一日、大陸命第七号により中支那方面軍の戦闘序列
(中支那方面軍司令部、上海派遣軍、第十軍から成る) が令せられた。
方面軍司令官は松井石根大将である。 同日、大陸命第八号をもって
「中支那方面軍司令官ハ 海軍ト協同シテ 敵国首都南京ヲ 攻略スヘシ」
との大命が下った。
また同日の大陸指第九号により、中支那方面軍司令官はその任務遂行のため
揚子江左岸の要地に一部の作戦ができること、
海軍との協同作戦については現地協定を実施すること、などが指示された。
この日、多田参謀次長は、方面軍のかねてからの要望により、
上海に到着し現地の実情を視察した。
二日、松井大将の上海派遣軍司令官の兼任が解かれ、
同軍司令官には朝香宮鳩彦王中将 (20期) が親補された。
方面軍は、一日、南京攻略作戦のための命令を下達し、
隷下両軍を次のように部署した。
一 上海派遣軍ハ 十二月五日頃 主力ノ行動ヲ開始シテ 重点ヲ丹陽、
句容道 方面ニ 保持シ 当面ノ敵ヲ 撃破シテ 麿盤山山系西方地区ニ
進出スヘシ
一部ハ 揚子江左岸地区ヨリ 敵ノ背後ヲ攻撃スルト共ニ
津浦鉄道 及 江北大運河ヲ 遮断セシムヘシ
三 第十軍ハ 十二月三日頃 主力ノ行動ヲ起シ 一部ヲ以テ 蕪糊方面ヨリ
南京ノ背後ニ 進出セシメ 主力ヲ以テ 当面ノ敵ヲ撃破シ
リツ水附近ニ進出スヘシ 特ニ杭州方面ニ 対シ警戒スヘシ
これは一挙南京に向かい迫撃するのではなく、南京要塞の抵抗、部隊の態勢整理を考え、
磨盤山系西方 ― リツ水付近に進出して南京攻略を準備しようとするものであった。》
いかんせん、状況が不利でした。
蒋介石は戦争をやめる気はないし、ラーベたちが安全区の承認を要求しています。
いつまでも返事しないわけにも行きません。
全てが、南京戦を進めたい下村第一部長の都合のいいように動いています。
下村第一部長は南京攻略の研究を進め、多田次長を説得しました。
戦史叢書 『支那事変 陸軍作戦1』 422〜423pより
《 参謀本部第一部では制令線撤廃のころから本格的に南京攻略の研究を始め、
また第一部長は、しきりに参謀次長の説得に努めたが、次長は容易に同意しなかった。
事変処理の政略的要求を強く考えていたためである。
一方、現地軍は再三にわたり督促の意見具申をなすとともに、
その第一線を無錫−湖州の線以西に進出させていた。
よって第一部長は、十一月二十七日、方面軍参謀長あて
「当部ニ於テハ 南京攻略ヲ実行スル 固キ決意ノ下ニ 着々審議中ナリ
未タ 決裁ヲ得ル迄ニハ 至ラサルモ 取敢ス オ含ミマテ」
と打電した。 これに対し
「唯今 貴電ヲ見テ 安心ス 勇躍 貴意ニ副フ 如クス」
との返電があった。
第一部長はさらに熱心に次長に意見具申するとともに、二十八日、
すでに作成していた作戦指導要綱を説明して、ついに次長の同意を得た。
これからは一瀉 (いっしゃ) 千里に事が運んだ。
十二月一日、大陸命第七号により中支那方面軍の戦闘序列
(中支那方面軍司令部、上海派遣軍、第十軍から成る) が令せられた。
方面軍司令官は松井石根大将である。 同日、大陸命第八号をもって
「中支那方面軍司令官ハ 海軍ト協同シテ 敵国首都南京ヲ 攻略スヘシ」
との大命が下った。
また同日の大陸指第九号により、中支那方面軍司令官はその任務遂行のため
揚子江左岸の要地に一部の作戦ができること、
海軍との協同作戦については現地協定を実施すること、などが指示された。
この日、多田参謀次長は、方面軍のかねてからの要望により、
上海に到着し現地の実情を視察した。
二日、松井大将の上海派遣軍司令官の兼任が解かれ、
同軍司令官には朝香宮鳩彦王中将 (20期) が親補された。
方面軍は、一日、南京攻略作戦のための命令を下達し、
隷下両軍を次のように部署した。
一 上海派遣軍ハ 十二月五日頃 主力ノ行動ヲ開始シテ 重点ヲ丹陽、
句容道 方面ニ 保持シ 当面ノ敵ヲ 撃破シテ 麿盤山山系西方地区ニ
進出スヘシ
一部ハ 揚子江左岸地区ヨリ 敵ノ背後ヲ攻撃スルト共ニ
津浦鉄道 及 江北大運河ヲ 遮断セシムヘシ
三 第十軍ハ 十二月三日頃 主力ノ行動ヲ起シ 一部ヲ以テ 蕪糊方面ヨリ
南京ノ背後ニ 進出セシメ 主力ヲ以テ 当面ノ敵ヲ撃破シ
リツ水附近ニ進出スヘシ 特ニ杭州方面ニ 対シ警戒スヘシ
これは一挙南京に向かい迫撃するのではなく、南京要塞の抵抗、部隊の態勢整理を考え、
磨盤山系西方 ― リツ水付近に進出して南京攻略を準備しようとするものであった。》
これは メッセージ 1775 (kir**gotowa**me さん)への返信です.