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1937年 南京進撃への策謀

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/07/08 15:34 投稿番号: [1755 / 2250]
第十軍が、独断で南京進撃しようとするのを、参謀本部の多田次長が止めました。

しかし、南京進撃を進めたいのは、第十軍だけではありません。

多田次長の部下の下村第一部長もそうです。

下村部長は秘策を練りました。

それは、大本営   (但し、宣戦布告した正規の戦時ではないので、

新たに事変に適用できる法令を作って設置された)   会議を利用することです。



児島襄著   『日中戦争4』   165〜167p


《 制令線の廃止が指示された十一月二十四日は、

第一回大本営御前会議の開催日でもあった。

天皇をむかえた会議出席者は



〔陸軍〕=参謀総長閑院宮載仁元帥、陸相杉山元大将、

   参謀次長多田駿中将、参謀本部第一部長下村定少将。

〔海軍〕=軍令部総長伏見宮博恭元帥、海相米内光政大将、

   軍令部次長嶋田繁太郎中将、軍令部第一部長近藤信竹少将。



この日の会議は、陸海軍の作戦計画を上奏するだけで、下問も質疑もなく、

しごく形式的な会議が予定されていた。

現に、会議は、両総長が作戦方針、両部長がその説明書を朗読して、終った。

  ―   ところが、


実際には、会議には、参謀本部第一部長下村少将の 〝工作〟 がひそめられていた。

下村部長の説明は、部員有末次中佐が起案して多田次長の承認も得たものだが、

その中支那方面軍の作戦については、次のように述べられていた。



「元来、此ノ軍ハ   上海付近ノ敵ヲ   掃滅スルヲ任務トシ   ……

  其ノ推進力ニハ   相当ノ制限ガ御座居マス   ……   随 (したがっ) テ

  一挙 直チニ   南京ニ到達シ得ベシトハ   考ヘテ居リマセヌ……」


つまりは、南京には行かぬ、行くにしても慎重に行く、

という多田次長の思想を反映した文言である。



南京進撃を主張する下村少将としては、この章句は不満である。

御前会議での上奏は、最高方針の決定にほかならず、

このままでは南京攻略は不発になりかねないし、方針を修正するには、

さらに上奏して時間をとられることになる。

下村少将は、そこで、会議の前に多田次長に語った。



「南京攻撃をやる場合があると云ふことを、申すかも知れません」

少将は、そのときの多田次長の反応を記述していないが、次長としては、

少将が南京問題について   「軽く」   付言する程度と理解したらしい。

だが、御前会議では、下村少将は、前述の説明案文につづいて、

次のように言明したのである。



「統帥部ト致シマシテハ、 今後ノ状況如何ニヨリ   該方面軍ヲシテ

  新ナル準備態勢ヲ整ヘ、 南京其ノ他ヲ   攻撃セシムルコトヲモ

  考慮シテ居リマス」


このくだりが朗読されたとき、参席者の多くは、思わず眉をあげて意外感を表明した。

御前会議では、発言するとき以外は、不動の姿勢のまま端坐して終始するのが慣例である。

一同は、それ以上の動きを示すことなく散会した。》



*   次長は怒ったが、後のまつり、ほとんど既定事項となってしまったわけです。

   誰もが、動けない、つまり、反論できない状態を利用して既成事実化したのです。

   と言っても、まだ南京攻撃が決まったわけではありません。

   可能性が開かれただけです。

   南京攻撃が決まるのは、まだ後です。
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