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1938年7月末 松本重治氏、上海に帰る

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/06/17 15:24 投稿番号: [1714 / 2250]
松本重治著   『上海時代・下』   中公新書
303〜304p


《 私は、高君の滞在中も、近衛さん、岩永さん、

影佐大佐   (六月からは陸軍省軍務課長)と、それぞれ、両三回打合せをした。

だいたいの諒承を得たので、月末、上海に帰ったが、

その後暫く、高君からは連絡がなかった。



ところが、私が近衛さんと会談したことを、上海にいた中国側和平派は、

早くも聞きつけて、私に会見を申し込む人が少なくなかった。

ことに傅式説や趙正平は、それぞれ和平運動をやっているから、

緊密な連絡をとって欲しいといってきた。



傅君は、蔵前出身で、当時は上海大廈大学教授であり、

貴族院議員の井上匡四郎子爵とも特別の連絡があった。

趙君は曁南大学の学長であり、傅君とともに上海文化界での名士であった。

いちばん因ったことは、私があたかも近衛総理の代表だと定め込んでいたことだった。



そうではないと如何に説明しても、彼らは、依然、聴かなかった。

だから、彼らに会うときは、私はあたり障りのないような話をしなければならず、

少なからず当惑した。それよりも悩んだのは、高君の消息であった。》




塚本誠著   『ある情報将校の記録』   中公文庫
266 p

《 高宗武の離日後この動きが進展をみせないので、

高宗武の計画は蹉跌したのではないか、と影佐さんは心を痛めていた。

しかし、後になってわかったのだが

高は香港に帰ってから病気で動けなかったのである。》
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