1938年7月21日 高宗武 日本から帰国
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/06/12 18:52 投稿番号: [1704 / 2250]
松本重治著
『上海時代・下』
中公新書
303p
《 七月二十一日、高君は伊藤君に伴われて横浜を発ち、上海に向った。》
児島襄著
『日中戦争4』
文春文庫
419p
《 外交部亜州司長は、日本や他の国でいえば、外務省アジア局長である。
そのような高級官吏が、あえて政府の意思に反しても密航して和平をもとめる、
とすれば、日本でなくてもどの国でも、相手国の困難はよほどだと考えるのは、
自然であろう。
蒋介石は、司長高宗武の行動が日本側に和平工作を思いつかせたとすれば、
一方でよけいなことだが、
他方では、中国の事情を誤判断させる効果もあったと判断し、その帰国を待った。
だが、亜州司長高宗武は、漢口に帰らなかった。
高宗武は、七月二十一日に香港に到着したが、渡日の成果は思わしくなく、
おまけに持病の結核も悪化したので、航空便で日本側との会談記録と日記を
漢口におくり、自身は療養生活をおくることにした。
書類は、翌日、副秘書長周仏海の手もとにとどいた。
日記および会談録に記載されている日本側発言は、微妙な表現ではあったが、
必ずしも汪兆銘の出馬を歓迎しないわけではない、
との趣意がくみとれる内容になっていた。
手のうちをあきらかにしたくない配慮によるものか。高宗武をはげますためか。
それとも
「蒋介石ヲ対手ニセズ」
の真意が汪兆銘歓迎にあるのか……。
副秘書長周仏海にも、そのへんの判定はつきにくかったが、
もともと〝汪兆銘派〟でもあるので、まず一件書類を汪兆銘に提示した。
一読した汪兆銘は、自分に先きに見せたことは伏せて、
蒋介石に提出するよう、周仏海に指示した。》
これは メッセージ 1692 (kir**gotowa**me さん)への返信です.
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