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1938年7月22日 土肥原機関設立1

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/06/14 18:52 投稿番号: [1708 / 2250]
児島襄著   『日中戦争4』   文春文庫


414p

《 事変解決のためには、蒋政権の   「屈伏」   か   「潰滅」   は必須要件である。

そのためには、作戦による痛打と並行して、謀略による蒋介石陣営の切りくずしが

有効となる。


内部の将軍、有力政治家の寝返りをさそえれば、それはそのまま

中国軍の戦力と戦意の破砕、 「新中央政府」   の基礎がためにつながるからである。

この謀略工作については、じつは、すでに六月十七日、参謀本部は

「第二期謀略計画」   を策定し、現地軍に通告していた。

計画は   「獣(けもの)」   工作と   「鳥」   工作にわかれていた。》



416p

新中央政権の樹立にも関連する   「鳥」   の主要なものを、後者にした。

そして、唐紹儀、呉佩孚、断雲鵬の三人を政治工作の目標人物にさだめた。


唐紹儀は、孫文とともに辛亥革命の原動力になった国民党の元老。

呉佩孚はいわゆる直隷派の総帥で、反蒋介石派の軍人を統督できるとみられる存在。

断雲鵬は、山東軍閥の統領で、根強い反蒋感情の持ち主。

それぞれ七十八歳、六十六歳、六十一歳という年齢であり、

いずれも隠退生活をおくっている。



参謀本部は、三人に共通して   「過去ノ栄光」、 「反蒋介石」、

なお持っているはずの   「隠然タル勢力」   に注目して、人選した。


その意味でも、この時期には、現に国民政府のナンバー2である

五十三歳の汪兆銘に視線をそそぐ必要は、感得されなかったといえよう。



五相会議は、この人選もふくめて   「第二期謀略計画」   の中央機関の

担任部分を確認し、さらに、第十四師団長から参謀本部付に転出した

土肥原賢二中将を、工作責任者にした。


中将のほかに柴山兼四郎大佐、晴気慶胤   (はるけよしたね)   少佐、

香川義雄少佐   (以上、本部)、 大迫通貞少将   (北支)、和知鷹二大佐   (中南支)

を主務者にする   『土肥原機関』   がつくられ、七月二十二日に発令された。》
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